みんな映画になる

眠那影俄仁那琉

黒沢清

黒沢清『Chime』(2024) それはフレームの外にある

監督:黒沢清主人公の松岡(吉岡睦雄)は料理教室の先生をしている。 そこに幻聴や妄想としか思えないことを訴える田代(小日向星一)という名の生徒がいる。 人間の声ではない、叫び声のような、チャイムの音が聞こえると彼は言い、その音をなにかのメッセ…

黒沢清『Chime』(2024)のヤマを張ってる。

『Chime』(2024)のヤマを張ってる。 映画のヤマを張るとはなんだろうと思われるだろうが、これをよくやってしまう。小出しにされているあらすじを読む限り、主人公が講師をしている料理教室に統合失調症のような症状を訴える生徒がいる、というところまで…

『蛇の道』復讐するは我にあり

黒沢清『蛇の道』のセルフリメイクに関する新情報が解禁されました。 主演:柴咲コウ、ダミアン・ボナール哀川翔が演じた役が柴咲コウになっています(たぶん)。 stevenspielberg.hatenablog.com こちらの記事で『蛇の道』について書いてますが、内容からす…

『蛇の道』(1998年)あなたのためなら、永遠の迷路に閉じ込められても構わない

監督:黒沢清 『CURE』(1997)では、映画というメディアをニーチェの永劫回帰の思想と同様のものとして捉え、『CURE』という映画を生きる主人公の高部(役所広司)がメタ的に自身の存在を認識し肯定することで超人化し、ニヒリズムを超克するという内容だっ…

音声配信します。

stand.fmにて本日21:00より音声配信します。 #1 映画『アカルイミライ』について考えたこと 夢編 https://stand.fm/episodes/63ca2714f3b001339a59de3f #2 映画『アカルイミライ』について考えたこと 革命編 https://stand.fm/episodes/63ca42dbbe4bfda70039…

ひとつの形をもたない乙女たち JEUNES FILLES SANS UNIFORME

ゴダール『新ドイツ零年』(1991)には「ひとつの形をもたない乙女たちJEUNES FILLES SANS UNIFORME」というものが出てくると高木繁光氏の論文に書いてある。 「ひとつの形をもたない乙女たちJEUNES FILLES SANS UNIFORME」は、無名であるがゆえに、すべての…

ChatGPT

パチンコ?

『CURE』の考察、断片たち

監督:黒沢清いつまで考えているんだと思われているかもしれませんが、『CURE』についてまた書きたいなと思い、過去に書いていたらしい『CURE』につての断片的な文章やメモを見つけたのでUPします。 私は映画を簡潔に書きたくないので、これはその抵抗の一環…

全ての道は黒沢清に通ず「得体の知れない相手に感情があるかもしれない」

リドリー・スコット監督の『エイリアン』(1979年)に好きな場面がありまして、逃げるリプリー(シガーニー・ウィーバー)を通路の先でエイリアンが静かに待ち伏せしているところなのですが、得体の知れない相手に知性があるかもしれない恐ろしさの演出が、…

『ドッペルゲンガー』を見た後のメモ①

監督:黒沢清以下は『ドッペルゲンガー』を反芻しながらのとりとめのないメモです。早崎が最初に自身のドッペルゲンガーに遭遇する喫茶店の場面の切り返しが変だった。 夕飯を食べていてナイフを床に落とし、それを拾うために屈んだことで、向こうの席に何か…

『ドッペルゲンガー』を忘れていませんか。

ネットで『ドッペルゲンガー』(黒沢清監督2003年)を検索したらコメディ/ファンタジーに分類されてたんですが、『パディントン』と同ジャンルなんですか?モダンラブ・東京『彼を信じていた十三日間』の主演キャストが永作博美さんとユースケ・サンタマリア…

黒沢清の黄色についてメモ

黒沢清映画の黄色についてです。 ツイッターで、モダンラブ・東京『彼を信じていた十三日間』の黄色(壁・マグカップ)と『回路』の黄色(ミチの部屋・車)の共通点をあげていた人がいて確かにと思ったのですが、じゃあその黄色ってどういう意味があるんだろ…

黒沢清の切り返しショットについてのメモ

『岸辺の旅』(2015年)から、急にどうしたんだと戸惑うぐらいの頻度で切り返しショットを多用している黒沢監督です。 ずっと気になってはいたのですが、ザックリと、黒沢清はスクリーン(あるいは画面)をハーフミラー(あるいは水)の機能を持ったものと考…

わからないという希望について

「モダンラブ・東京」『彼を信じていた十三日間』 監督:黒沢清農水省役人(國村隼)の「それ前にも聞かれました。私ちゃんとお答えしましたけど、憶えてらっしゃらない」という場面をどう見たかでこの物語の解釈は違ってくる。 黒沢清作品をそれなりに見て…

『回路』(2001年)は「ビンに封じて海や川などに流された手紙」ですよね

このことについて書いている人を見かけたことがなかったので、一応書いておこうと思います。私たちは岸辺にいて、とあるビンを拾います。 そこには手紙が入っていて、書き出しはこうです。 「ある日それは何気なく、こんなふうに始まったのです」 そして結び…

『LOFT』を書くにあたって、黒沢清の考える「映画」について

『LOFT』を後々一本の記事にまとめるつもりで資料に当たっています。 この映画に関しては、黒沢清監督がデイヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』(2001年)をあげて「デイヴィッド・リンチもああいうのをやっているんだから、(自分も)やって…

『アカルイミライ』(2003年)少女の夢が増える時

監督:黒沢清この映画は、社会に染まりきって何の疑問も持たず安寧に暮らす上の世代に反発を抱いていた若者が、友人の父親と関わることで少しずつ反発心が瓦解し、彼らに続いてこの社会で生きていくのも悪くないと、自身を取り巻く世界を受け入れる萌芽を描…

『CURE』(1997年)映画という永劫回帰、そして超人へ

監督:黒沢清 ちょっと前に久しぶりに『CURE』(1997年)を観た。なんとなくまた色々考えたので書いてみようと思う。過去の記事と矛盾する部分もあるが、今思っているところを記録するのが目的なので矛盾は矛盾のままにしておく。 高部が最終的にどうなったの…

『スパイの妻〈劇場版〉』(2020年)感想・ネタバレ

監督:黒沢清『スパイの妻』を見て、黒沢清監督の映画をそれなりに真剣に見てきた人はなにが気になっただろうか。 そんなことが気になる。 とにかく、私は色々気になった。主演の二人のクラシカルなスタイルの演技は今までの黒沢映画には無かった試みだ。あの…

『旅のおわり世界のはじまり』(2019年)感想・ネタバレ

黒沢清監督の『叫』(2006年)で、主人公の男(役所広司)がいよいよ前後不覚に陥り、女がすでに死んでいることにふと気がついた時、なぜだか「そりゃそうか」という気持ちになった。 前後不覚になるほど男が苦悩する世界では、とっくに女は死んでいる。それ…

『回路』(2001年)枠と鏡のシステムと視線の行く先

監督:黒沢清 「ある日それは何気なく、こんなふうに始まったのです」映画冒頭のミチ(麻生久美子)のモノローグ。「こんなふうに」とは、彼女の同僚田口(水橋研二)の自殺を指している。田口の家の中に、黒沢監督映画に頻出する半透明のビニールの間仕切り…

『CURE』(1997年)を見直してみよう No.4 最後に高部はどうなったのか

黒沢清はイングマール・ベルイマンに似ているとよく思う。 黒沢清の著作物や、黒沢清について書かれた本の中で、ベルイマンについての記述を読んだ覚えはないが、(『恐怖の対談―映画のもっとこわい話』(青土社 2008年)で、テオ・アンゲロプロスがベルイマ…

『クリーピー 偽りの隣人』(2016年)について

監督:黒沢清 ネタバレあります。お正月休みに『ヴァンパイア/最期の聖戦』(1998年)を見ていて、『クリーピー 偽りの隣人』が吸血鬼映画だったことに遅ればせながら気づいたので書いておく。 以下は、『クリーピー 偽りの隣人』と吸血鬼映画の分かりやすい…

『叫』(2006年)感想・ネタバレ

監督:黒沢清 黒沢清監督作品については色々とこのブログで書いていますが、『叫』は観ていませんでした。いいタイトルです。まるで名作古典映画のようです。 コンクリの壁から葉月里緒菜さんがコンニチハしている写真をどこかで見て、コメディなのかなと思…

『CURE』(1997年)を見直してみよう No.3 沢山の病院とタイトルCUREの意味

監督:黒沢清 CUREという言葉には、癒す・治療するなどの意味がある。 なぜ、この言葉が映画のタイトルになっているのだろうか。まずは、癒しや治療を担う機関である病院とCUREについて書いていきたい。 とにかく病院が良く出てくる映画である。 以下に、『CU…

『CURE』(1997年)を見直してみよう No.2 都市のランドマークと猿のミイラ

監督:黒沢清『CURE』のレビューを読んでいると、映画の雰囲気が前半部と後半部で違う、という印象を持った人が少なからずいることがわかる。 実際『CURE』の後半部は、前半部に比べ短いショットが多くなり、ショットや場面のつながりが分かり辛くなり、ロケ…

『CURE』(1997年)を見直してみよう No.1 間宮の催眠術とXの印

監督:黒沢清 前回の記事で、『CURE』について書かない、と書いたが書くことにする。 前回の記事以降も『CURE』について考えていたら、映画の中で描かれていることで、具体的に説明できる事柄がいくつかあることに気づいた。 具体的に理解したところで、映画…

『未知との遭遇』と『CURE』、そして『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』について

今、集中してスピルバーグ監督作品を観ているのですが、全監督作品観賞の道は険しいです。『1941』(1979年)や『カラー・パープル』(1985年)や『オールウェイズ』(1989年)あたりに手が伸びないです。逆に『未知との遭遇』(1977年)や『A.I.』(2001年…