監督:黒沢清
※ネタバレしています。

あの地下牢の地面のうねり。
あれは黒田官兵衛(菅田将暉)を起点として起こる波の波紋が、荒木村重(本木雅弘)を起点として起こる波の波紋と干渉したことで生じた干渉縞である。
起立する村重を中心にして座した家臣たちが一斉に平伏する場面では、地下牢のうねる地面と同じように、家臣たちの丸めた背中が村重の足元にうねりとなって広がっている。
官兵衛が信長の使者として有岡城に訪れたタイミング、官兵衛の死を信長に知らせるタイミング、それらのタイミングは常にずれ事は上手く行かない。
タイミングのずれとは、一方が山(波の頂点)のとき、他方が谷(波の底)にあるということだ。そのことで村重と官兵衛という2つの起点は逆位相となり、籠城という物理的に行きも退きもできない宙づり状態の有岡城内で、2つの起点が生じ、波がぶつかり合い、あの城の中に「中央暗線」として、数多の黒が現れているのである。
黒田官兵衛と荒木村重の足元に広がる波の干渉によって生じる干渉縞と、主に城内の者の装束としていくつも生じる黒色から分かるのは、有岡城に意思を持った2つの点が在ることで、ムーヴメントが起こったということである。
この籠城は勝利のための時間稼ぎである。
家臣が民が、籠城という物理的に行きも退きもできない宙づり状態の中にある。
そこに怪事件が次々と現れる。いたずらに家臣や民を疑心暗鬼に陥れ、混沌を招くわけにはいかない城主の村重は対処に迫られる。
怪事件に人々は「天」と「罰」を持ち出す。村重と官兵衛は、その「天」と「罰」の間にあるものを探り合うのである。
「行けば極楽 退けば地獄(進めば極楽、退けば無間地獄)」
戦国時代の石山合戦で一向宗の門徒たちが掲げた言葉には、行くと退くの間で圧殺された凡夫の営みがある。
あるいは、「行けば生き残れる 退けば死ぬ」なのかもしれない。
そうすると、千代保(吉高由里子)が言うように、退くにも生き残る道はあるかもしれない。
ならば、死という地獄は存在するが、極楽は生きることそのものかもしれないのである。
この映画で、ヨーロピアンビスタが採用されたわけは、縦移動への最適化によるものだろう。
天国と地獄に挟まれた凡夫たちの中つ国を描くためには、カメラは縦移動をして上にも下にも行きながら、中央を示さなくてはならない。
そして、多用されるハイアングル。鑑賞者には天井が隠されている。映されない上には、天でも極楽でもなく、どこまでも続く茫漠とした広がりがあるのだ。
足元に平伏する家臣に囲まれ佇む村重は、憂い顔で茫漠とした広がりを見つめている。
「申虎(とらさる)」の事件。
瓦林能登入道(吉原光夫)は雷に打たれて絶命する。これぞあの時代の天罰なのではないだろうか。しかし村重も官兵衛も千代保も郡十右衛門(オダギリジョー)もそのことに狼狽えたりはしない。
そしてカメラは静かに石垣に刺さる刀を映すのである。「これが避雷針になりました」と言わんばかりである。
カメラが天罰を「刀が避雷針になった出来事」として静かに示すとき、それは現在から過去を検分する視線である。この映画の語り口は、一貫してそのような現在地からの振り返りとして構成されている。
この映画に出てくる二つのフラッシュバックは、今そこの語りから引き起こされた、登場人物が想起したフラッシュバックとは思えない。
長島一向一揆を語る千代保につながれた、座り込み人形を必死で拭う千代保の姿は、劇中で一向一揆を初めて語る千代保のずっと後に出てくる千代保の姿である。このフラッシュバックは、彼女の想起として機能していない。
もう一つのフラッシュバック。安土城に仕える侍女たちが留守中に外出したことに激怒し、織田信長が処刑した事件は史実であり記録された出来事として、現在から振り返ることができるものである。
このことから、これらのフラッシュバックは、今そこの登場人物によるものではなく、今ここ(現在の鑑賞者)からの振り返りとして、過去の戦国時代を想起したものと考えられる。
私たちが、まだ見ぬはずの「座り込み人形を必死で拭う千代保の姿」もすでに過去の出来事なのである。しかしそれは、記録には残されていない。だが虐殺はあった。そしてその生き残りが、その恐怖を思い出さないわけはないのである。
この二つを同列の現在地からのフラッシュバックとして示すことで、荒木村重と黒田官兵衛が起こしたムーヴメントの性質が見えてくる。それは記録されなかった選択、すなわち城を捨て逃げること。
ここに至るまでの干渉が、あの時、荒木村重と黒田官兵衛が同時にいた城の中で起こった。その歴史のブラックボックスをこの映画は描いているのかもしれない。
それは、「行けば極楽 退けば地獄(進めば極楽、退けば無間地獄)」とされた世の中に確かに存在した中つ国であり、歴史の死角であった。
有岡城は、指輪物語でフロドが滅びの山の火口へ落として破壊した「一つの指輪」のように、歴史を変えるために捨てられたのかもしれない。
城を捨て逃げるという、凡夫になり生き続けるという村重の中つ国への志向は遂げられた。
その事実が、その道を照らしている。

