監督:黒沢清主人公の松岡(吉岡睦雄)は料理教室の先生をしている。 そこに幻聴や妄想としか思えないことを訴える田代(小日向星一)という名の生徒がいる。 人間の声ではない、叫び声のような、チャイムの音が聞こえると彼は言い、その音をなにかのメッセ…
『Chime』(2024)のヤマを張ってる。 映画のヤマを張るとはなんだろうと思われるだろうが、これをよくやってしまう。小出しにされているあらすじを読む限り、主人公が講師をしている料理教室に統合失調症のような症状を訴える生徒がいる、というところまで…
『ドッペルゲンガー』(2003)について先日書いたが、 その後、批評をネットで見ていたら、大場正明氏のHPに、カルチャー雑誌「Cut」の連載で掲載した『ドッペルゲンガー』 評を、抜粋のうえ加筆したものがあったので読んだ。 https://crisscross.jp/html/a1…
黒沢清のフィルモグラフィーを眺めていると、『アカルイミライ』(2003)、『ドッペルゲンガー』(2003)、『LOFT ロフト』(2006)の頃は、スクリーンと観客の関係についての模索が顕著に見られる時期だと思う。 今回は『ドッペルゲンガー』について。 この…
いわゆる黒沢清映画的なものといえば半透明の遮蔽物ですが、 他にも、車のシーンでのスクリーン・プロセス(窓の外の景色を合成しているようなやつ)や、鬱蒼とした草木、アクションシーンで跳躍する段ボールなど、黒沢清あるある言いたい。ということで今回…
黒沢清『蛇の道』のセルフリメイクに関する新情報が解禁されました。 主演:柴咲コウ、ダミアン・ボナール哀川翔が演じた役が柴咲コウになっています(たぶん)。 stevenspielberg.hatenablog.com こちらの記事で『蛇の道』について書いてますが、内容からす…
映画には、ほんの数秒ほどの歩行や乗り物の走行を捉えただけの場面がよく挿入されています。 A地点にいる登場人物たちがB地点に行くために車に乗り込み、場面が切り替わるとB地点に車が着いて登場人物たちが降りきても物語はつながりますが、A地点の場面とB…
監督:黒沢清 『CURE』(1997)では、映画というメディアをニーチェの永劫回帰の思想と同様のものとして捉え、『CURE』という映画を生きる主人公の高部(役所広司)がメタ的に自身の存在を認識し肯定することで超人化し、ニヒリズムを超克するという内容だっ…
イーストウッドのここ最近の(と言っても10年くらい)作品を見ていて受ける印象は、素描のような、時に思いのままに筆を走らせてみたとでもいった調子の描写で、決して軽くはないアメリカの歴史を語る、というものだった。でもそこにはいつもどこか透明な印…
監督:スティーヴン・スピルバーグ ネタバレしてます。面白いと思いながら観ていたが、同時になんでこの映画が面白いんだろうかとも思っていた。 スピルバーグの自伝的映画で、尚且つ彼自身が撮ったというメタ情報がなくても面白い映画だった。伊藤計劃が『…
この映画の印象について話しています。 『ドライブ・マイ・カー』誠実な物語は嘘のような顔をしている。 https://stand.fm/episodes/63dcae8815041fa66860dc3b
監督:濱口竜介 共有するとはどういうことか、そのことについてずっと考えているような映画だった。 家福(西島秀俊)は、音(霧島れいか)がSEX後に語る物語(語り終えた後、音は物語を忘れてしまう)を共有していると思っていた。それは形(脚本)にするま…
stand.fmにて本日21:00より音声配信します。 #1 映画『アカルイミライ』について考えたこと 夢編 https://stand.fm/episodes/63ca2714f3b001339a59de3f #2 映画『アカルイミライ』について考えたこと 革命編 https://stand.fm/episodes/63ca42dbbe4bfda70039…
宮沢賢治「やまなし」についてはじまりの文:小さな谷川の底を写した二枚の青い幻灯です。 おわりの文:私の幻灯はこれでおしまいであります。話のはじまりとおわりに、幻灯(写真や絵)について書かれた文がありますが、物語には時間の経過があり、2つのシ…
隠喩やメタファーという言葉を使用することに抵抗があるのですが、理由は黒沢清について書く際に「映画の中に現れる水面はスクリーンの暗喩である」というのが実は不正確であることに起因しています。 「水面はスクリーンのメタファーである」もそうですが、…
映画について書いているのは副業にできないのかと聞かれました。noteで小銭稼ぐようなのじゃなくてなにかないのかと。 どういうのがお金になりそうか聞かれたので、配信作品の網羅的な紹介だろうと答えたら、ならそれをこれからは音声SNSでやろうよと言われ…
ゴダール『新ドイツ零年』(1991)には「ひとつの形をもたない乙女たちJEUNES FILLES SANS UNIFORME」というものが出てくると高木繁光氏の論文に書いてある。 「ひとつの形をもたない乙女たちJEUNES FILLES SANS UNIFORME」は、無名であるがゆえに、すべての…
パチンコ?
最近この方と同じようなことを考えていたのですが、考えた末にみうらじゅん的手法に思い至って、みうらじゅんはちがうし、できないしと思っています。 藤井風のツイートはリアクションがしんどすぎて消した。端的に言うと「風くんの活動を妨害しようとしてる…
監督:黒沢清いつまで考えているんだと思われているかもしれませんが、『CURE』についてまた書きたいなと思い、過去に書いていたらしい『CURE』につての断片的な文章やメモを見つけたのでUPします。 私は映画を簡潔に書きたくないので、これはその抵抗の一環…
フレディ・M・ムーラー「山の焚火」 ジョン・ダイガン「キャメロット・ガーデンの少女」 パトリス・ルコント「タンデム」 北野武「ソナチネ」「キッズ・リターン」 アッバス・キアロスタミ「友達のうちはどこ?」 ケン・ローチ「ケス」 バズ・ラーマン「ダン…
監督:ロマン・ポランスキーこの映画に影響を受けている映画が色々思い浮かびました。恋人と上手くいかず、仕事中に控室に籠って怒りながら泣く同僚に、それらしい言葉を掛けてみるもその言葉は同僚に響かず、仕事に戻るよう呼び出された同僚が去った後、ボ…
リドリー・スコット監督の『エイリアン』(1979年)に好きな場面がありまして、逃げるリプリー(シガーニー・ウィーバー)を通路の先でエイリアンが静かに待ち伏せしているところなのですが、得体の知れない相手に知性があるかもしれない恐ろしさの演出が、…
監督:黒沢清以下は『ドッペルゲンガー』を反芻しながらのとりとめのないメモです。早崎が最初に自身のドッペルゲンガーに遭遇する喫茶店の場面の切り返しが変だった。 夕飯を食べていてナイフを床に落とし、それを拾うために屈んだことで、向こうの席に何か…
ネットで『ドッペルゲンガー』(黒沢清監督2003年)を検索したらコメディ/ファンタジーに分類されてたんですが、『パディントン』と同ジャンルなんですか?モダンラブ・東京『彼を信じていた十三日間』の主演キャストが永作博美さんとユースケ・サンタマリア…
スピルバーグ 未知との遭遇、ロストワールド 、戦火の馬 トビー・フーパー 悪魔のいけにえ フェリーニ カサノバ ドライヤー 吸血鬼 ベルイマン 沈黙 イーストウッド ハドソン川の奇跡 カーペンター マウス・オブ・マッドネス、光る眼 ソクーロフ マザー・サ…
黒沢清映画の黄色についてです。 ツイッターで、モダンラブ・東京『彼を信じていた十三日間』の黄色(壁・マグカップ)と『回路』の黄色(ミチの部屋・車)の共通点をあげていた人がいて確かにと思ったのですが、じゃあその黄色ってどういう意味があるんだろ…
『岸辺の旅』(2015年)から、急にどうしたんだと戸惑うぐらいの頻度で切り返しショットを多用している黒沢監督です。 ずっと気になってはいたのですが、ザックリと、黒沢清はスクリーン(あるいは画面)をハーフミラー(あるいは水)の機能を持ったものと考…
「モダンラブ・東京」『彼を信じていた十三日間』 監督:黒沢清農水省役人(國村隼)の「それ前にも聞かれました。私ちゃんとお答えしましたけど、憶えてらっしゃらない」という場面をどう見たかでこの物語の解釈は違ってくる。 黒沢清作品をそれなりに見て…
『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』を見ている。 「モダンラブ・東京」ep5「彼を信じていた十三日間」も見た。