監督:黒沢清
日曜日に『蛇の道』を見てきました。
ネタバレにならない程度の雑感を書いておこうと思います。
ネタバレ記事は以下から見れます。
stevenspielberg.hatenablog.com
あらすじは、小夜子(柴咲コウ)のでっち上げの提案から、クリスチャン(スリマヌ・ダジ)の名前が出てきたあたりで前作とは全くの別ものになったと認識しています。
最後の銃撃戦の舞台の行き止まりで、グレート・マザーのようなイメージが出てきた時は、えらい所まで来ちゃってるなと思いました。
『Chime』同様、黒のマスキングイメージが出てきます。
両タイトルともオープニングで出てきます。
『Chime』は天井吊り下げモニターによるマスキングでしたが、『蛇の道』のオープニングでは、フランスの街角に駐車された車・自転車、マンションの扉、工事用のフェンスシートなどが黒、黒、黒、全部黒。そして極めつけは小夜子の黒髪です。
この黒が黒髪でも表現されたことで、オリエンタリズムともこの黒は通底しているんでしょう。
このリドリー・スコット映画と見紛うような黒が、急に黒沢清の映画に頻出しています。
「映画というのは、光の粒のことかもしれない」みたいなことを以前言っていた黒沢監督ですから、黒という光の遮断は由々しき事態なはずです。
廃工場でアルベール(ダミアン・ボナール)がいそいそと消灯したモニターを引っ張ってこちらへ迫って来た時、このままこの真っ黒いモニターがスクリーンを覆ってしまうのではないかと不安になりました。
それからスナッフフィルムがスクリーンを覆うのと、真っ黒いモニターがスクリーンを覆うのと、どちらが怖いだろうかと考え込んでいます。
無による崩壊の危機が迫る、ネバ―エンディングストーリーのファンタージェンみたいで怖いんですよね。なんでしょうか、この黒は。
思えばシュラフも『Chime』に出てきました。
『LOFT ロフト』(2005)でもそうですが、シュラフに入ると人は途端に匿名性をまとうというか、不確定な状態である「重ね合わせ」の状態になるというか、公開予定作の『Cloud クラウド』(2024)の予告を見ても、袋マスクだとかフルフェイスヘルメットだとか覆面などがやたら出てきます。
『回路』(2001)から覆面のイメージは出てきていましたが、普遍性とは違う匿名性のような「重ね合わせ」のイメージも頻出してきています。
今回の『蛇の道』のとある映像に最後に映るものもそうです。
この匿名性と、黒色は関係していますかね。いるんでしょうね。
そういえば映画に出てきたルンバも黒色でした。移動する穴みたいな。
あれは『CURE』(1997)の空のまま回る洗濯機の変奏のような感じもしたのですが、まだよくわかりません。
これから思い出しながら細かく見ていきたいと思います。