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眠那影俄仁那琉

『ドッペルゲンガー』を見た後のメモ①

監督:黒沢清

以下は『ドッペルゲンガー』を反芻しながらのとりとめのないメモです。

早崎が最初に自身のドッペルゲンガーに遭遇する喫茶店の場面の切り返しが変だった。
夕飯を食べていてナイフを床に落とし、それを拾うために屈んだことで、向こうの席に何かを見つけた様子の早崎から、向こうの席を映すカットに切り変わるが、早崎の視点ショット(に限りなく近いショット)になるかと思いきや、早崎の背面越しに向こうの席が見えるショットになっていた。いつもこういう違和感にどういう意図があるのか探るところから考えていく。
劇場での鑑賞を想像すると、自分の前の席に座っている人の背面越しにスクリーンを見ていて、それを模したようなショットにも思える。
だいたい早崎の開発している医療用人工人体からして椅子。
『降霊』に出てきたドッペルゲンガーは椅子に座っていた。
とりあえず椅子を暫定的に映画館の椅子、または観客の暗喩としておく。

由佳(永作博美)の弟は時系列的にドッペルゲンガーなのか幽霊なのか微妙。
『回路』を見るに、黒沢清の撮る幽霊は触れる。触れることをもってして幽霊とドッペルゲンガーを区別することはできない。
由佳の弟は、最終的に早崎のドッペルゲンガーに葬られたようだが、真偽のほどははっきりしない(由佳には、弟はアメリカへ行ったと言ってある)。幽霊なら殺されない、ドッペルゲンガーなら殺されるのかどうかはわからない。
映画冒頭、ホームセンターの駐車場に停めている車のルームミラー越しに弟は映されている。遠ざかる弟に由佳は話しかけるが、弟は聞こえているようだが返事をしない。一度由佳に向って手を払うようなしぐさをした時、ルームミラー越しではない弟の姿が映されていたような(これは弟の着ていた英字Tシャツの文字の映り方で確認できないか再度確認)。
その後車で家に帰ると、車より先に家に帰っていてTVで台風のニュースを見ている弟に由佳は驚く。弟に声を掛けた後、夕飯を作っていたら警察から電話がかかり、弟さんが自殺されましたとの連絡が入るので、ホームセンターで会った弟が自殺直前の本当の弟の姿で、家にいるのが弟のドッペルゲンガーなんだろうけど、これだと自殺した弟の幽霊が家にいるとの違いがわからない。
助手の高野(佐藤仁美)は、早崎に由佳の弟がドッペルゲンガーに会ったから自殺したかのように話すが、弟はドッペルゲンガーにどの時点で会ったのか。会ってない。

助手の高野が言うように、ドッペルゲンガーに会うと自殺する(死ぬではなく自殺すると言っている)のだとすると、最終的にこの映画で自殺するのは人工人体の椅子。
由佳の弟のドッペルゲンガーが出現→弟の自殺、早崎のドッペルゲンガーが出現→人工人体の椅子の自殺とこうなる。これはどういう法則か。

あとは、早崎が君島を川の下に突き落とした時や、階段を転がる玉が止まった時、人工人体が崖から落ちた時など、帰結点で聞こえそうな音がしない。見えないところの音をつけていない。主に映画後半部だが、帰結点の音が無いことで、文章でいうところの句読点の消失のような印象を受ける。
椅子の奪い合いは『カリスマ』の後半に似ている。
画面分割の意図は全然わからない。