みんな映画になる

眠那影俄仁那琉

黒沢清

『CURE』(1997年)を見直してみよう No.4 最後に高部はどうなったのか

黒沢清はイングマール・ベルイマンに似ているとよく思う。 黒沢清の著作物や、黒沢清について書かれた本の中で、ベルイマンについての記述を読んだ覚えはないが、(『恐怖の対談―映画のもっとこわい話』(青土社 2008年)で、テオ・アンゲロプロスがベルイマ…

『クリーピー 偽りの隣人』(2016年)について

監督:黒沢清 ネタバレあります。お正月休みに『ヴァンパイア/最期の聖戦』(1998年)を見ていて、『クリーピー 偽りの隣人』が吸血鬼映画だったことに遅ればせながら気づいたので書いておく。 以下は、『クリーピー 偽りの隣人』と吸血鬼映画の分かりやすい…

『叫』(2006年)感想・ネタバレ

監督:黒沢清 黒沢清監督作品については色々とこのブログで書いていますが、『叫』は観ていませんでした。いいタイトルです。まるで名作古典映画のようです。 コンクリの壁から葉月里緒菜さんがコンニチハしている写真をどこかで見て、コメディなのかなと思…

『CURE』(1997年)を見直してみよう No.3 沢山の病院とタイトルCUREの意味

監督:黒沢清 CUREという言葉には、癒す・治療するなどの意味がある。 なぜ、この言葉が映画のタイトルになっているのだろうか。まずは、癒しや治療を担う機関である病院とCUREについて書いていきたい。 とにかく病院が良く出てくる映画である。 以下に、『CU…

『CURE』(1997年)を見直してみよう No.2 都市のランドマークと猿のミイラ

監督:黒沢清『CURE』のレビューを読んでいると、映画の雰囲気が前半部と後半部で違う、という印象を持った人が少なからずいることがわかる。 実際『CURE』の後半部は、前半部に比べ短いショットが多くなり、ショットや場面のつながりが分かり辛くなり、ロケ…

『CURE』(1997年)を見直してみよう No.1 間宮の催眠術とXの印

監督:黒沢清 前回の記事で、『CURE』について書かない、と書いたが書くことにする。 前回の記事以降も『CURE』について考えていたら、映画の中で描かれていることで、具体的に説明できる事柄がいくつかあることに気づいた。 具体的に理解したところで、映画…

『未知との遭遇』と『CURE』、そして『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』について

今、集中してスピルバーグ監督作品を観ているのですが、全監督作品観賞の道は険しいです。『1941』(1979年)や『カラー・パープル』(1985年)や『オールウェイズ』(1989年)あたりに手が伸びないです。逆に『未知との遭遇』(1977年)や『A.I.』(2001年…