映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『フランティック』(1988年)感想・ネタバレ

監督:ロマン・ポランスキー


スマホアプリ『ぴあ』で黒沢監督が、映画監督について話している記事があるのは知っていたのですが、ポランスキーについて話しているというのをTwitterで知り、気になったのでダウンロードして読みました。
そこで黒沢監督が、好きな作品として取り上げていた『フランティック』を、ミーハーなので早速観てみました。

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フランティック(Frantic)とは半狂乱という意味らしいですが、率直に言って悪夢のような映画でした。
この映画に見られる、巻き込まれ型主人公とマクガフィンを挙げて、ヒッチコック作品に言及するレビューをいくつか読んだのですが、ヒッチコックで挙げるとすれば、もう物語が『めまい』(1958年)です。


映画が始まると、看板や小物など、とにかく赤いものがどこかにずっとチラチラ映っているのですが、ウォーカー夫妻がホテルの部屋に入って少しすると、ちょうど赤いものが映り込まない位置にカメラが固定されます。全体がアースカラーでビビッドな色みのないショットに固定されて、何だろうと思って見ていると、画面の奥にいる妻のサンドラが、ベッドの上の白いトランクから赤いワンピースを取り出すのです。またまた赤というか、まず赤をチラチラ出しておいて、一旦画面から完全に赤を消して赤を出す。手品ではないのですが、手品みたいな手法で、赤を印象づけています。
その後、シャワーを浴びるリチャードを捉えた画面の奥にいた妻が、赤いワンピースとともに画面から消えます。今度はカットを割らず、目の前で赤を消してみせます。


ヒッチコックの言うマクガフィンに意味は無いと言われていますが(本当かどうかは知らない)、『フランティック』のマクガフィンには意味があります。意味を持つマクガフィンは、もうマクガフィンではないのかもしれませんが、この記事の便宜上、物語の推進力となるリチャードの探しものをマクガフィンだとすると、白いトランクの取り違えから、赤いワンピースとともに妻が失踪し、まずは妻を探し始めます。そして妻を助け出すために、ミシェルがアメリカからフランスへ運んだ何かを探さなくてはならなくなります。その何かとは、アメリカの自由の女神像の置物で、その像の中に隠された核爆弾の起爆装置部品クライトロンへとマクガフィンは移り変わっていきます。
マクガフィンとは赤いワンピースの妻であり、自由の女神像の中のクライトロンなのですが、物語の途中でミシェルが赤いワンピースを着ることによって、事態が複雑になっていきます。赤いワンピースの妻とクライトロンと赤いワンピースのミシェルが、マクガフィンとして同様の意味を持って語られ始めるのです。

これらのマクガフィンをシンプルに換言するならば、「リチャードの失せもの」です。となると物語は、「リチャードの失せもの探し」と言い換えることが出来るでしょう。
物語では、妻の失踪という「リチャードの失せもの」探しの過程で、とある組織の失せものを探さなくてはいけなくなり、ミシェルは失せものではなく、一緒に失せもの探しをするパートナーなわけですが、最終的にミシェルが死に、リチャードが彼女を失くすことから、リチャードが探していた失せものとは、ミシェルへの愛であったことが分かります。
核爆弾の起爆装置部品や赤いワンピースの女とは、世界を変える運命の予感に他なりません。リチャードは世界を変えるマクガフィンという運命の予感に導かれ、ミシェルを失うことで愛を知り、彼の世界は変わってしまうのです。
妻と引換に渡さなくてはならない、妻と等価であるアメリカの自由の女神像がミシェルのアパートの屋根の上から落ちそうになった時、リチャードは自由の女神像ではなくミシェルを助けますし、二人は長い時間ダンスを踊ります。主人公の男性とあれだけ長い時間ダンスを踊る女性が、主人公にとって特別な存在でないわけがないのですが、ミシェルの死によって遡って愛の物語が語られているように思えるのは、愛が喪失と不可分なものだからです。
鑑賞者も、ミシェルの死によって愛に気づき、リチャードが探す失せものが何であったのかを知るのです。


この映画は始まってすぐに、赤を探すよう促しています。
私たちは当初、それを赤いワンピースを着た妻のことだと思うのですが、それはいつしか赤いワンピースのミシェルとなり、彼女の流す血の赤が、この映画が探していた本当の赤だと、それまでの赤はここに至るまでの予感に過ぎなかったと悟るのです。
死んだミシェルを抱えてリチャードは橋の下を歩いて行きます。この時のリチャードは、まるでゴールデン・ゲート・ブリッジのほとりで愛する女を抱えて歩く『めまい』のスコティのようですし、その脇に寄り添う赤いワンピースを着た妻は、赤いワンピースを着ていたミシェルの亡霊のようです。
その後リチャードは、車の中でミシェルの亡霊になった妻に「愛している」と告げ、泣きながら彼女を掻き抱きます。


映画のオープニングは、感傷的でドラマティックなテーマ音楽とともに走行する車のフロントガラスから見える車道の景色を映し出しますが、エンディングではリアガラスから見える景色にテーマ音楽が重なっています。走行する小さな空間に身を置き、失った愛を振り返る空虚な空間がリチャードの人生になってしまったのです。
シャワー室から見えていた妻が消える瞬間、テーマ音楽のイントロが流れています。失う愛の予感としてそれは流れるわけですが、引き返せない人生の中で唐突に愛に気づき、それまでやこれからの全てが無意味なってしまうこの物語は恐ろしすぎます。


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フランティック」は、今まで見たどのポランスキー映画よりシリアスですね。オープニングに流れるテーマ音楽が感傷的すぎて、軽妙なタッチの描写を見ても、何か騙されているんじゃないか?と終始警戒心が緩みませんでした。戸惑うリチャードと止まらないミシェルのくねくねダンスには面食らいましたが、最後まで観ると、結構大事な場面だなと思いつつ、あれが?みたいな、何とも言えない気持ちになります。