映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『エル ELLE』(2016年)感想・ネタバレ

監督:ポール・バーホーベン


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劇場で予告を観て、レイプ犯が扉を開けて侵入してくるショットの、高い位置でほぼ平行に伸びる両腕が奇妙だなと思って、あんな風に真横に扉にぶら下がるみたいに扉を開ける両腕が伸びるものなのかなと、家でフュージョンみたいなポーズをとってあれこれ試していたのですが、肝心の公開時に絶不調続きで見逃してしまい、やっと観る事が出来ました。

予告をはっておきます。

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色々やってみた結論としては、無理をすれば出来ないことはない、です。
実写映画で作画崩壊っぽい画が一瞬差し込まれるだけで、恐怖だけではない違和感が生じていて効果的です。ホラーだと人体の物理的な理を意図的に崩すというのは常套ですが、少し崩すというのは、もっと色んなジャンルで出来るんじゃないでしょうか。


非日常的な事件の当事者の日常を描いているのですが、バーホーベンって理性的だなと思いながら観てました。
ミシェルの境遇やレイプ被害もそうですが、その当事者を決して分かった風に撮ったりしない、というかそもそも人の内面なんて分からないし、映画で描けるとも思ってないでしょう。
この映画事態、事件と可哀想な被害者を描くつもりははなからないでしょうし。


ミシェルがレイプ犯になぜあなたはそうするのか的な探りをちょいちょい入れるのですが、バーホーベンがそれに応えて、ミシェルに見せたレイプ犯の内面が脳味噌だった時は、『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997年)からの変わらぬ一貫性を感じました。
人間の内面=脳味噌。確かに。


だからといって、事件とその当事者を突き放して描いているかというとそうではなく、39年前の事件とそれを引き起こした父親とその時の自分自身を異常と切り捨てて生きてきたミシェルが、レイプ事件をきっかけに、何か全てが生活の地続きにあるような感覚を掴んでいきます。それは忌まわしい過去を切り離せないというのではなくて、自然と生活する内に、異常とされる物事が生活の地続きにあるものかもしれないという感覚です。
なぜ父親が事件を引き起こしたのかは分からないけれど、娘が面会に来ると分かると自殺してしまう人だということは、ミシェルにも分かる。
分からないからと完全に切り離せるものなんてないし、少し分かるからといって共にできるわけでもない。そしてどちらも大なり小なり生活の中や自分自身の中にもあるという、至極真っ当な感覚です。頑なな彼女の様々な線引きが緩んだ終盤は、彼女の中で異常な事が飽和したかのようにも見えますが、彼女のような境遇や事件の被害に遭っていなくても、人なり物事なりを異常として完全に切り離して生きていける人なんていないんじゃないかと思わされます。
全ては緩やかにつながってるんでしょうね。


ミシェルの母親の散骨場面の、その場で生じた怒りで適当に散骨してしまう感じだとか、夢を語るレイプ犯だとか、猟奇的な題材の小津安二郎というか、『晩春』(1949年)を観た時の面白さに近いものを感じました。日々のままならなさとそこから垣間見える人となり、みたいなものが嫌らしくなく軽快に描かれています。
題材から単純に変態映画と捉えている人がレビューを読むと沢山いますが、変態映画というのはコッポラの『Virginia/ヴァージニア』(2011年)みたいなやつだと思いますよ。