映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『ゲティ家の身代金』(2017年)感想・ネタバレ

監督:リドリー・スコット

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お昼に観て、特に何を考えるでもなく、時々映画の場面をポツポツ思い起こしたりして、さぁ寝ようという時になって、アレがソレでソレがああでこうで、と頭に沸いてきて観念して書き始めました。今3:50。寝たい…

世界一の大富豪という資本主義の王、ジャン・ポール・ゲティ。実話がどう改変されているか知りませんが、この物語は、彼が玉座を求める話しです。

彼は既に資本主義の王としてその玉座に腰を下しています。しかしそれは、アビゲイルが1000部の新聞に象徴してみせた、複製されたただの紙である札束で出来た玉座です。
彼の王座が、複製されたただの紙でできていることはジャンも承知しています。だから彼は、それを本物(美術品)にせっせっと変えて、複製されたただの紙きれ集めというバカな振る舞いをしているわけでは無いと嘯いています。

アビゲイルは、複製されたただの紙束である1000部の新聞を送り付け、それが持つ価値とは何かをジャンに突きつけます。ジャンは、むろんその価値は書かれている内容そのものにあると、ポールの記事に反応してみせます。
では、お金ならどうなのか。お金そのものから、何か価値が見出せるだろうか。
お金は美術館の売店に並ぶ、複製された牛頭人身の怪物ミノタウロスにも象徴されています。このミノタウロスには複製の他に、お金の持つ両義的な意味が含まれています。

ジャンが購入し、いまわの際に手にしたイエスを抱くマリアの絵画(聖母子像)。キリスト教ではイエスを抱くマリアの膝が玉座を象徴しているといわれています。
ジャンが求めた玉座は、このマリアの膝です。
ジャンが聖母子像を手にして死ぬ場面と、ポールが救われてアビゲイルに抱かれる場面は対比されています。この対比により、誘拐され、居場所の分からないポールが受けた苦痛と見捨てられる恐怖、そこで直面した死の恐怖が、窺い知ることの出来ないジャンの内面であったと分かります。

傍から見るとアイロニカルな描き方ですが、リドリー・スコット監督らしいと言えばそうなんですが、キリスト教世界を資本主義世界に置き換えています。
ジャンがポールに複製された牛頭人身の怪物ミノタウロスを渡すのは、資本主義世界における洗礼でしょう。
ジャンがポールに洗礼を授けたことや、最後にジャンの頭部の彫像があることから、ジャンはイエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネアビゲイルはマリアとサロメ、ポールはイエスとして描かれています。
当然ですが、ジャンはアビゲイルの膝を求めた分けではなく、「お金はいらない。親権だけちょうだい」と言い放ち、いなくなった息子を求めてジャンのもとを度々訪れ、奔走するアビゲイルの姿に、抱かれて座る母の膝という玉座を見て、求めたのです。
アビゲイルはジャンが死んだ後、ジャンの遺産を継ぐ息子の、文字通り玉座となります。

誘拐されたポールとジャンの内面は対比されていますが、ポールが救われたからといって、ジャンが救われるわけではありません。
アビゲイルサロメとして、洗礼者ヨハネの首を取らなければ、ポールを救うことが出来なかったのです。だからアビゲイルは、最後に母マリアとして、救われなかった息子・ジャンを思い泣くのです。

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勢いで書いてしまいました。そして一旦寝ました。細部はボチボチ考えたいと思います。
地面に置かれた新聞の束と、強風の中その新聞を読む場面を見た時、リドリーは『ペンタゴン・ペーパーズ』(2018年)のあの場面をどんな顔して見たのかな、と思ってしまいました。風の強さはリドリーの方が上でしたね。
ポールの耳切断場面がグロくてちょっと…なレビューをいくつか読んだんですが、映画はイメージでは無くてヴィジョンですから、そこはちゃんと撮らなければいけません。グロいですけどね。