映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『Virginia/ヴァージニア』(2011年)感想・ネタバレ

監督:フランシス・フォード・コッポラ

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ゴシック・ホラーという認識で見始めたのですが、冒頭のシークエンスに驚きました。
なぜなら、あまりにもありのままのデジタルビデオ映像だったからです。この映像の質感でゴシック・ホラーいけますか?というか、これでいくんですか?と、ハラハラドキドキします。
その後に出てくる、いくつかの質感の映像と(上映時には一部3Dを含む)、時間軸と、7つの文字盤のある時計塔は繋がっているのでしょうが、謎解きにそこまで興味が湧かないので、そういう事は書きません。

まず、主役の三流オカルト作家の太ったおじさんボルティモアヴァル・キルマー)とV(エル・ファニング)の夢の中の出会いを、まるでボーイ・ミーツ・ガールのような演出で撮る感覚ですよね。これは、控えめに言ってもどうかしてる。
「歯がコンプレックスなの」と、とっても可愛らしいことを言うヴァンパイア(Vampire)の美少女と、不意に、ごく自然に出会う中年男性。その後の話の展開で、ボルティモアは少女Vと自身の亡くした娘ヴイッキー(Vicky)のイメージを重ね、またエドガー・アラン・ポーの妻、ヴァージニア(Virginia)のイメージもVには重ねられていくのですが、主人公の亡くした娘というイノセントなイメージを主軸に持ってきているとはいえ、12歳の少女に、ヴァンパイアのセクシャルなイメージや妻の献身のイメージなどなど、詰め込めるだけ詰め込んでいきます。

その夢の中の少女は、ボルティモアが著作本のサイン会を開くために訪れた街の保安官事務所の死体安置所に安置されている、胸に木の杭を撃ち込まれた身元不明の死体として登場します。
この死体と街にまつわるいわくが次回作の小説のネタになりそうだと踏んだボルティモアは調査を開始し、この調査に関わる人物や自分自身の過去、少女殺害事件の容疑者に行き着きます。ボルティモアが保安官事務所を訪れ、少女の死体から木の杭を抜き取ると大量の鮮血が噴出し、死んでいたはずの少女は起き上がり、ボルティモアは襲われます。
そしてカットが切り替わり、編集者がボルティモアに、「この小説は完璧だ!」「以前のオカルト作家は消え去った」「ああ、全ては消え去った」などと会話をする場面があり、「この小説の売り上げはそこそこだった」という趣旨のテロップが流れて映画は終了します。
最後のテロップから、この映画を俯瞰で捉えているものの存在や、冒頭のナレーションから読者のような存在が仄めかされており、これは劇中の時計塔で示されるいくつかの時間軸の一つと考えられるのですが、それは置いといて、死んだ少女にあらゆる女の幻影を投影し、その少女を蘇らせ、その少女に襲われるとはどういうことなのか、と思うわけです。
この映画には、牧師のアランや保安官のボビーなどの性倒錯者が出てくるわけですが、みんな五十歩百歩だぞ、と思うわけです。最後にフィクション内フィクションの二重構造が示され、ナレーションやテロップにより三重構造まで仄めかされ、倒錯的な内容とこの映画そのものには距離があることが示されますが、そんなことをしても誤魔化されないぞ、という気分になります。

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保安官事務所でボルティモアとボビー、ボビーの部下と少年の4人で交霊術ボード(コックリさんのようなもの)をやるのですが、文字を指し示すレンズが異常な動きを始め、その事態の極まりというか異常事態を表す演出が、皆がボードから手を離そうとしても離れず、4人が挙げた手にボードがくっ付いてくるというのが、異常事態をシンプルに見せていて良かったです。そんなに色んなパターンを見た覚えは無いのですが、このような状況の演出を、演者が泣きわめき出したり、気絶したりといった、役者の演技だけで見せるのは見ていて白けますし、だからといって電気がチカチカしたりするポルターガイスト演出も最早惰性のような気がするところで、シンプルな回答を見ました。