映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『カリスマ』(1999年)感想・ネタバレ

監督:黒沢清

サクリファイス』(1986年)に立てられた一本の木のモニュメントは、その後『ブレードランナー 2049』(2017年)で、核汚染地域のスティグマとして立てられた。
世界であり、歴史であり、中心である、特別なこの一本の木が「もう一本ある」映画。
それが『カリスマ』です。

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単純に、一本の木を巡る物語が「もう一本ある」と展開することに笑ってしまうのですが、この映画は日本映画にしか撮れない凄い映画だと思うんですよね。
サクリファイス』を見た時に、日本映画で撮られるべき映画だったんじゃないか、と思って落ち込んだんですが、十数年ぶりに『カリスマ』を見直して、『サクリファイス』が外国映画として撮られていたから『カリスマ』があった事に気づいて持ち直しました。

Wikiに「インディ・ジョーンズの中の宝の奪い合いからヒントを得たらしい(宮台真司との対談より)」と書いてあるのですが、「もう一つある」とかやってたら、それはそのうち宝じゃなくなって、誰も奪い合わなくなります。
平和になっていいじゃない、と思うかもしれませんが、果たして本当にそうでしょうか。
カリスマがカリスマでなくなるのは、とにかく沢山あってありふれたものになるか、カリスマが消え去るかです。この映画では、「もう一本ある」という展開と、二本のカリスマの破壊から、どちらにしろ、カリスマという存在そのものが無くなる過程が示されています。

一本目のカリスマは、桐山直人(池内博之)の風貌や言動から、現人神だった頃の天皇っぽい感じがしたと思います。坊主頭が日本刀持って、力だ服従だ軍隊だと言っているわけなので、どうしてもそう思います。でもこれ天皇じゃなくてもいいんですよ。人がカリスマだった時代です。
この木が燃えて、雲が広がり、その先に目をやった藪池(役所広司)は、巨大なキノコ型の木の幻影を見ます。
この映画がモノクロだったら、この巨大なキノコ型の木は、核爆発によって生じた原子雲にしか見えなかったはずです。
ある人物が強大な力を持つ時代から、核爆弾が力を持つ時代になります。だから、やっぱりカリスマは「もう一本ある」んですよ。
この核爆弾というカリスマをですね、「この先、千年生きるかもしれない」などと言いながら甲斐甲斐しく世話を焼いたり、突っ込んだ圧搾空気ボンベを拳銃で撃って吹っ飛ばしたり、これは日本映画以外でやれないでしょう。絶対やっちゃダメなやつ。そっと一本立てとくのが精一杯ですよ。

過去に、世界はギリギリで核戦争の危機を回避していたそうですが、既に日本には核爆弾が落ちています。核戦争を回避した世界とやらに、とっくに日本は含まれていなかった。世界が恐怖する終末以降の景色は、日本映画にしか描けない。タルコフスキー監督が誠実に立てた一本の木を吹っ飛ばせるのも日本映画以外ないはずです。

とっくに核爆弾は爆発してる。
核戦争を回避した世界なんて存在しない。
この混沌が、あるがままの景色だ。

痛快ですよね。
爽快というか、世界なんて幻想だったんだ!って、ラストショットに嬉しくなります。

黒沢監督の初期はホラー映画のイメージだったんですが、改めて見てみるとディザスター映画な気がしてきました。

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もっとちゃんと書きたいのですが、中心に固執し破壊行動にでる神保美津子(風吹ジュン)を左翼的な人物と捉えているレビューを数件読んだんですが、左翼というより彼女が固執する中心には男性があったんじゃないのか、と思っています。妹の神保千鶴(洞口依子)と彼女は会話を交わしませんし、同じ空間にいてもお互いが居ないかのように振る舞っている場面から、あの姉妹を一人の女性と捉えて見ることが出来ると思います。布に包まり何かに怯える神保美津子の短いショットからも、彼女が中心に抱く感情には怯えがあるようです。まだ、色々考えているんですが。
あと藪池の存在の不思議ですね。あの人、何なんでしょうね。
映画の冒頭で、神保千鶴に寝床にしていた廃車に火をつけられ、桐山に魂を取られていることから、不在者として存在している者なんじゃないか、と考えています。肉体を焼失し、精神を失っているけれど認識されている者ですかね。その存在の在り方が、神の不在の性質と重なり、神的な人物として描かれているのではないでしょうか。藪池に対し、桐山が「俺を見捨てるなよ」と言ったり、中曽根(大杉連)がどちらにつくのかを気にしたりしています。職場や家も不在にしている人物です。最後に藪池が上司に電話を掛けた時、上司が「お前、なにをやったんだ」と言うんですよね。不在の神の御業は、巨大なパラボラアンテナで街に伝えられたのでしょうか。伝道のために歩き回らなくても、通信技術を使えば、瞬時に伝えられるようです。

森の中に光線のように射す光や、様々な風を見ているだけで、ずっと見ていられる、と思わされる映画です。一本目の木がトラックで運ばれて、奪われて、また奪われて、次には燃やされてるシークエンスもテンポがリズミカルで好きです。
森とか廃墟とか車とか、本当にいちいち格好良く撮れますよね。草むらさえもですからね。