映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『エイリアン:コヴェナント』(2017年)ラストの解釈について・ネタバレ

監督:リドリー・スコット

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この映画が描く信仰について、時間をかけて理解を深めていこうと思っているのですが、その前に、物語のラストで舞台となった星を逃れ、宇宙船コヴェナント号に乗船したアンドロイドが、デヴィッド、ウォルターのどちらであったかについて書いておきます。
というのも、そのことについて触れているネタバレ記事を読むと、ウォルターの振りをしたデヴィッドだった、と書いているものが多いからです。
私はウォルターだと理解しています。
理由は単純で、あのアンドロイドのアゴには、ダニエルズがペンダントトップにしていた夫の形見の釘で刺した傷が無いからです。ダニエルズがデヴィッドに一矢報いた重要な傷の跡がありません。
私の理解しているラストの流れは以下です。

デヴィッド、ウォルターの戦い。決着は見せないまま、左手の無いアンドロイドが建造物から出てきて救助船に乗り込む。ちょいちょい意味深な描写あり。
(デヴィッドかウォルターかわからないな)
コヴェナント号でダニエルズがゼノモーフ(黒)を倒し、危なかったけど助かったことが分かり、モニターの前で安堵した様子のアンドロイド。
(ということはウォルターなのか)
ダニエルズのコールドスリープを介助するアンドロイド。「湖畔の小屋」というウォルターとダニエルズの共通の話題に、あいまいな反応をする。そしてダニエルズの台詞、「デヴィッド!」
(あ、デヴィッドなんだ)
声音を変え、デヴィッドの認証番号と名前を告げ、マザーにワーグナー「ヴァルハラ城への神々の入場」をリクエストするアンドロイド。
(デヴィッドか?なんか様子がおかしい)
胎芽の入った引き出しを開けるアンドロイド。カメラが煽りになり、アンドロイドのアゴに傷が無いことが分かる。
(やっぱりウォルターか。でもなんで…)
オリガエ6へ向かうコヴェナント号の映像に、ウォルターの名前で偽りの航海報告音声が重なる。
(デヴィッドみたいなことしてる…)

デヴィッドだかウォルターだかが建造物から出てきた時、皆さん左手を確認しようとしたと思います。その後、問題の左手をしっかり見せて、傷の手当てをするアンドロイドを描写し、傷に注意を向けるよう促しています。第一、これ以上デヴィッドを引っ張ってもしょうがない。もう彼には引き出しが無い。「一音狂うと、全てが狂う」と、言われた方より、言った方が残る。
スリードをしようとしていたことは確かですし、ダニエルズに自分をデヴィッドだと思わせたのも確かです。ただ、何でウォルターがそうしたのかは分かりません。3部作といわれているので、次回作で分かるのか、今作の考察を深めていけば分かる事なのか、どうなんでしょうか。
私は画面に映るものを信じるので、最後に残ったのはウォルター派です。


そんなことより、ネオモーフ(白)の描写について考えたい。
ネオモーフは、水の張られた洗面台に、殺害した女性クルーの首をわざわざ浮かべたのでしょうか。その後のネオモーフとデヴィッドとのやりとりは、明らかにカトリックの告解として描かれています。あの宗教施設のような建造物の内部で、2体の境界線に薄っすらと引かれた透けるカーテンは、告解室の神父と信者の間にある格子窓を表しています。(他の部屋にあるカーテンは全て麻のような透けない材質で出来ている)
恐怖に駆られた代理キャプテンがネオモーフを殺害した後、デヴィッドが言う「私を信じていたのに!」という台詞も追いうちをかけます。
ネオモーフには罪という意識があって、信仰のようなものがあったのか。
そもそも、今作でデヴィッドが求めたゼノモーフ(黒)の「完璧さ」が従来の解釈とは違うように感じています。何をもってしてデヴィッド、もしくはアンドロイドはゼノモーフを完璧だと思うのか。アッシュ(『エイリアン』(1979年)に登場するアンドロイド)も言いますよね。ウォルターの行動もそこらへんに掛かっているんでしょうか。
白と黒なんで、まずはこの簡単な対比から考えようと思って、キーワードは信仰・罪あたりかなと検索して出てきた「罪と恐れ」(ジャン・ドリュモー著 2004年 新評論)という本を図書館で借りたのですが、辞書級に分厚い本で心が折れそうです。