映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『ハドソン川の奇跡』(2016年)感想・ネタバレ

監督:クリント・イーストウッド

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冒頭、企業ロゴに重なる音。市街地で衝突する旅客機。そして恐怖に驚き目覚めるサリー。この時、サリーの瞳にだけ照明が当たり、他は影になってよく見えません。この場面と次のシャワーを浴びる場面は、目覚めた後にシャワーを浴びた、というようにつながっているのでしょうか。サリーは、悪夢で目覚めてシャワーを浴びたのでしょうか。

2001年9月に起こったアメリカ同時多発テロ事件。私は世界貿易センタービルに旅客機が衝突する、あの象徴的な映像で記憶しています。事件当時の映像で繰り返し見たのか、その後に取り上げられた映像が積み重なり脳裏に焼き付いたのか、曖昧です。
あの時、現役旅客機パイロットの人達は、事件にまつわる映像をどのように見たのでしょうか。飛行機操縦経験の有無は、あの事件の映像に対する視点に何か影響を与えるのでしょうか。

サリーが悪夢を見て恐怖に驚き目覚めるかのように見える冒頭の場面は、USエアウェイズ1549便不時着水事故の前なのか後なのか、サリーの白髪が確認出来ないように撮られているため分かりません。この場面は、まるで砂埃のように白く蒸気が舞う浴槽の場面へとつながることから、USエアウェイズ1549便不時着水事故の前であり、アメリカ同時多発テロ事件後のサリーの心象を表しています。市街地での旅客機衝突という悪夢。それを目撃した恐怖。そしてアメリカ同時多発テロ事件でNYの街に降り注ぎ舞い上がった砂埃のような蒸気の中、現在のサリーはスクリーンに登場するのです。これは、サリーの中にアメリカ同時多発テロ事件で生じた恐怖が、USエアウェイズ1549便不時着水事故により顕在化したことを表しています。
国家運輸安全委員会の追及にサリーは、アメリカ同時多発テロ事件以降自身の中に生じた市街地での旅客機衝突という恐怖のビジョンを回避しようとして、事故に際して冷静な判断が下せなかったのではないか、という不安を覚えます。

この不安はサリーだけのものではありません。
サリーの判断に疑いを持つ人。サリーをヒーロー視し熱狂する人。サリーと同じように戸惑い不安を抱える人。これらの人々の反応の元に、アメリカ同時多発テロ事件があるのです。「NYは飛行機に良いイメージがないから」という台詞に、アメリカ同時多発テロ事件の同義や反義としてUSエアウェイズ1549便不時着水事故を捉える人々の心情が表されています。

2016年に発生した熊本地震の映像を連日ニュースで見ていた時、私は南阿蘇村の阿蘇大橋付近で発生した大規模な斜面崩壊の映像と、熊本城崩壊の映像、どちらが後世に熊本地震の様子を伝える象徴的な映像として残るのだろうか、と考えていました。死者や負傷者、被害に遭った人々、変わってしまったもの、壊れて消えたもの、全ての細部が一つの象徴的な映像になり、象徴的な出来事が語られ、単純化されていきます。
USエアウェイズ1549便不時着水事故が起きたのは2009年。アメリカ同時多発テロ事件から約8年が経過し、事件の細部が映し出され、その様子が詳細に語られることは無くなっていたはずです。事故をきっかけとして、自身や多くの人の内に蘇った恐怖と不安に、サリーは細部を明らかにすることで応えていきます。何度も繰り返される事故当時のフラッシュバックは、回を重ねるごとにより詳細さを増していきます。何があったか。誰がいたか。誰がどうしたか。何を思ったか。そしてその細部の果てで真実は明らかになります。サリーが飛行機乗りとして積み重ねてきた数々の経験や教訓は、アメリカ同時多発テロ事件により負った傷で汚されてはいなかったのです。
サリーがヒーロー視を拒むのは、ヒーロー視という行為そのものが、人々の恐怖や不安からくる出来事への拒否反応としての象徴化や単純化だからなのかもしれません。詳細に真実を見つめることは強靱な精神力を要することですが、根本的な恐怖や不安に立ち向かうために、サリーは冷静に真実を追い続けました。
USエアウェイズ1549便不時着水事故の乗客や管制塔などの様子は、サリーのフラッシュバックとして出てきますが、サリーが知りえないことです。あれはアメリカ同時多発テロ事件にも及ぶ想像力ですね。アメリカ同時多発テロ事件の時はどうだったのだろうか、と思わずにはいられません。


イーストウッドの出来事の単純化や象徴化に対する姿勢は、この後の映画に影響を与えそうです。『岸辺の旅』(2015年)の黒沢清監督はこの方向性ですね。

この内容で、映画は無茶苦茶お洒落なんですよ。全てが洗練されてます。何気ない乗客のエピソードも感傷的過ぎず、印象的にサラッと描いてます。
コクピットパイロットの後方からフロントを撮ってる画が若干左後方よりで、何か意図的にアングルを外すというか、そういった不思議な撮り方をするのですが、全体になると凄く洗練されて見えます。前作との対比が見えるBARの場面とか、色々書き出したらきりがない映画です。87歳にこんな映画撮られたらもうぐうの音も出ません。