映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『シン・ゴジラ』(2016年)感想・ネタバレ

監督:庵野秀明
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なぜゴジラが日本に上陸したのか、映画の中では示されていない。この映画の中の日本は、過去に原爆は投下されたが、東日本大震災は起こっていないようだ。
ゴジラの発生も上陸も、登場人物には不可解な出来事だが、鑑賞者には心当たりがある。東日本大震災が起こったからゴジラが企画され、製作され、発生し、上陸しているのだ。
まず初めに災害をもたらした巨大生物は、海の中にいて姿がはっきりとしない。次に現れた巨大生物は、海から這い出て街を這い進み、やがて立ち上がり海へ去った。それらはゴジラと命名される。ゴジラは再び、更に巨大になって現れる。そして、人間の攻撃に対し火を噴き、光線を放つ。
正義や悪を、体積の大きな存在として描くことが、いつからか日本では当たり前になっている。正義も悪も巨大化する。それは組織の規模でも、ものの例えでもない。凄い力を持った存在は、凄く大きいのである。外国ではどうなのか詳しくは分からないが、アメリカのスーパーマンは人間サイズだ。このことに疑問を抱いたことはなかったが、折口信夫の「山越しの阿弥陀像の画因」(1944年)を読んで以来、私は山越しの阿弥陀が日本における巨大な正義や悪の起源なのではないかと思っている。
阿弥陀如来は、無量光仏(無限の光)、無量寿仏(無限の寿命)という意味を持つ。
建物の屋上でゴジラ凍結作戦の指示を出している主人公らの向こうにある放射線状の光線。彼らは放射線状に光を放つ存在を見ている。光背(後光)を放ち、世代交代を経ることなく一個体で進化を続ける「人知を超えた完全生物」であるゴジラは、無量光仏(無限の光)、無量寿仏(無限の寿命)という、阿弥陀如来の特徴を備えている。

シン・ゴジラ』の宣伝で、ゴジラは初めて登場した1954年以降、新作が出る度に大きくなっている、と言っていた。建物が高層化していく過程の中で、ゴジラの迫力を損なわないために相対的にゴジラの体積が大きくなっていったそうだ。しかし、『シン・ゴジラ』では建物の高さとは関係なく、間を置かずしてゴジラは巨大化していく。このゴジラの体積は何によって増しているのか。
巨大生物として最初に姿を現したゴジラは、自然そのもののようだった。エラから血を吐き街を這う様は、まるで海底のプランクトンを砂ごと吸い込み、エラから不必要な砂だけを吐き出す生物のようだった。巨大生物が街を這い、人々を吸い込み、その血をエラから吐き出している。しかし、ゴジラの糧は人間ではない。自然の振る舞いは、時に副次的な人的被害を生む。ゴジラは自然でありながら、その被害も含めて体現する存在なのだろう。
映画の最後に、人骨を内包したゴジラの尻尾が透けて見える。この骨は、ゴジラに覆われ見えなくなった人々、それはカメラが映すことを避けた人々であり、海の中へさらわれた人々といった、私たちの死角へと消えた人々の骨だ。ゴジラはそのような人々を内包し、そのような人々から成る。
ゴジラは、死角へと消えた人々を内包し、物理的な質量を持った阿弥陀如来の化身なのである。