映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『オデッセイ』(2015年)感想・ネタバレ

監督:リドリー・スコット

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最近よく、「嵐がくる」という台詞を映画の中で耳にします。それは気象現象としての嵐の訪れや、事態の波乱の訪れを告げる台詞なのですが、「嵐がくる」という台詞の後に気象現象の嵐が劇中で起こっても、それはただ嵐が起こっただけではなく、登場人物の境遇に変化をもたらすものとして描かれています。
主人公マーク・ワトニーの境遇も嵐の訪れによって変わります。火星で一人きりになり、地球へ戻る術を無くしてしまいます。簡単に言うと、孤独になり生きる術を失います。
このように嵐に遭い、孤独で生きる術を失った人は、誰でも何処にいても、まるで火星に独りきりなのです。
このような状態にいる人は、どう生きていけばいいのか。また近しい人々、機関、国、世界は、このような人に対してどう振る舞うべきか。その理想と奇蹟を『オデッセイ』は描いています。ワトニー救出ミッションまでが理想で、ワトニーの救出ミッションは奇蹟です。

ワトニー救出ミッションが、なぜそれまでのように理想的な現実として描かれなかったのか、それには理由があると思っています。

気になったのは、劇中に何度か登場したNASAの記者会見場です。壇上者の後ろはガラス壁になっており、そのガラスに反射しているのか、透けて見えているのか、真一文字に蛍光灯の光のようなものが見えるのですが、それが壇上中央にある白いスタンドと組み合わさって十字架のように見えています。そして、この場面はその偶発的(を装った)な十字架が崩れないように、常に正面から映されています。この場面が、その映像から受けるイメージ通りに、教会における典礼を模しているのであれば、記者会見での発言は聖書朗読かもしれないと思い、この記者会見の内容と映画の流れを聖書の記述と照らし合わせてみました。

・ミッション18日目、ワトニー嵐に遭う。
NASAテディ・サンダース局長による、ワトニー死亡報告会見。
・ミッション21日目、ワトニー目覚める。わき腹にアンテナが刺さっている。
・火星とNASAの通信が可能になり、ワトニー生存報告会見。

ワトニーはキリストと同じく3日目に目覚めます。わき腹のアンテナも、キリストの死を確認するためにわき腹に刺された聖槍を想起させます。
また、ワトニーを救出する宇宙船ヘルメス号の名前の元になったギリシア神話のヘルメース神が、死者の魂を冥界に導き、また冥界より死者の魂を地上に戻す役割を持っていること。ヘルメス号に帰還したワトニーに対し、クルーが「臭うぞ」と言う台詞は、『ヨハネによる福音書』11章39節における、死んだラザロが復活する前に、ラザロの姉妹マルタがイエスに言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」の箇所を想起させます。
地球に帰還したワトニーが、候補生たちの輪の中央で、生きる術について説く様も、復活したイエスが弟子たちの真ん中に来て「あなたがたに平和があるように」と言った箇所(『ルカによる福音書』24章36節)とイメージが重なります。

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火星でワトニーが向き合っていたものは、死そのものです。この映画は、死から復活した者の話です。
聖書に関する知識が乏しく、自分で書いていて心もとないのですが、死という絶望(絶望という死)の反義としての復活が描かれています。この復活とは、引用が多くみられることから聖書に記されている「復活」と同義のものだと思われます。死の中から血と肉をともなって死臭を放ちながら「復活」する者の話です。

死の恐怖は音となって迫ります。居住スペースの外で荒れ狂う音を掻き消すように、ワトニーは70年代ディスコミュージックを鳴らします。やがて居住スペースには風穴が空き、入り込もうとする死をシートで塞ぎ、風にシートが煽られて響く音に怯えながら、ワトニーは懸命にじゃがいもの数を数える行為に集中しようとします。
居住スペース、探査車、宇宙服といった彼を守るものの外は死です。ワトニーは死の世界で、70年代ディスコミュージックで死の音を遠ざけながらなんとか生きています。
最後に彼は、この死の世界から逃れたくて脱出ポッドから身を投げます。そして、宇宙空間に身を投げたワトニーをクルーが掴まえ、ワトニーが死の世界から人の世界に舞い戻る「復活」という奇蹟が果たされます。

キリスト教における「復活」の奇蹟を描いているわけですが、この映画は死んでから「復活」するまでの空白に焦点が当てられています。
ワトニーの「復活」は予言され、そして本当に「復活」する。そして世界は死という罪から贖われる。これは贖罪の物語です。

聖書や神話などの引用はリドリー・スコットらしいですが、明るくて分かりやすい表現の仕方はらしくないですね。ワトニー救出場面は嗚咽しそうになって、必死にこらえました。なんというか、身を投げる行為(宇宙服の手元を自ら切る行為も手首を切る自死を思わせる)に対する解釈や、救出方法が空中ブランコみたいな離れ業なのが儚くて、観ていて辛かったです。トニー・スコットの死に対して、答えを出して、その責任を果たそうとしているように感じました。音楽もずっとトニーとやっていたハリー・グレッグソン=ウィリアムズです。
明るい映画なのですが、ずっとトニーのことが頭に浮かんでいました。