映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『神々のたそがれ』(2013年)感想・ネタバレ

監督:アレクセイ・ゲルマン

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メタルなど、手数の多い激しめの音楽を聴いていると、決って快い睡魔に襲われるのですが、同じ現象が鑑賞中に起こりました。
映画を観ていて退屈で眠ってしまうということがそもそもなく、何をしていても眠ったであろう疲れた状態であったために眠ってしまうか、今回のように映画に誘われて眠ってしまうか、のどちらかです。
どちらにしろつまらないわけでも退屈なわけでもないのに、抗えずに眠ってしまいます。
休日の正午に観始めたのですが、開始1時間程で眠ってしまい、結果休日の午後を寝て過ごしてしまいました。翌日も休日であったため、夕方から続きを観始めたのですが、30分程観たところでやはり眠ってしまいました。その翌日は仕事に行って、次の日も仕事だったのですが、夜中の2時から続きを観始めました。眠ってしまうことは最早折込済みだったので、眠くなったら一時停止をして寝る、というのを3回繰り返し、明け方の6時過ぎにようやく観賞を終えることができました。
何の波長が合ってしまったのか分からないのですが、普段眠気自体をあまり自覚する事がないので、疲れましたが面白い体験でした。なので不眠になったらソフトを是非買おうと思っています。

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映画冒頭にナレーションがあり、舞台が地球とは別の惑星であること。文明が地球より800年ほど遅れていること。この惑星にルネッサンスの萌芽があるという理由で地球から研究者が派遣されていること。実際はルネッサンスの萌芽など認められず、大学が襲われたり、賢者が処刑されたり、と知識が疎んじられていることなどの説明がありますが、その後は延々と寄りの映像と断片的な台詞の連続です。
眠気を誘発した一因として、この映画での神の視点ともいえる、寄りの映像の連続があります。どこにどれだけの人が居て、何をしているのか分からないくらい寄って撮られた場面が177分ある映画の半分以上を占めます。画面の中の人々は、カメラ目線で頻繁に話し掛けてくるのですが、何の話をしているのか、会話なのか独り言なのか分からないことを言っています。
地球とは別の惑星ということですが、異世界の景色はありませんし、所謂エイリアン的な見た目の者も、そのような振舞いもありません。惑星の人々は無邪気なような、怠惰なような印象の者ばかりで、まるでヒエロニムス・ボスの描く群集の中に手持ちカメラで突っ込んだかのようです。
そして色んな死体、また裸体や泥や血や排泄物や唾や痰や奇声や吹出物や創傷や食べ物や飲み物やなんやかやが絶えず出てきます。最初は気持ち悪いと思って観ていたのですが、あまりににも出てくるので、一々反応してられなくなり、それら全ての物が直ぐに平板化して慣れてしまいます。
たまに引きの映像があり、それはちゃんと固定カメラで撮られていて美しいので、美しいものが撮れないわけではないようなのですが、滅多に美しいものを見せて貰えない映画です。

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映画が始まって暫くすると、ドン・ルマータなる男が出てきます。そして、この男は神の子であるとされている、との説明があります。その後頻繁にルマータは出てきて、どうも彼がこの映画の中心的人物であり、神の子である彼もまた神であるらしいことが何となく分かってきます。惑星の人々には信仰心がなく、そのためドン・ルマータの言動に超越的なものは見られないのですが、惑星の人々と彼との関係性から彼が神であると推察することが出来ます。惑星の人々はドン・ルマータを意識していて、一方的に話しをしたり、言い寄ったり、殺そうとしたり、助けようとしたりします。そして惑星の人々は、ルマータに関する噂話をします。
彼は神らしい。彼は人を殺さないらしい。殺さないかわりに耳を削ぎ落とすらしい。
この噂話がクライマックスの振りになっており、ルマータは彼が助けて匿った賢者の策略に嵌って大虐殺を行なうことになります。私の記憶が確かならば、虐殺の様子は捉えられておらず、ルマータが怒りにより変身(獣のお面を被る)した後すぐに、死屍累々たる街の様子が映し出され、その中にへたり込んだルマータを子供が発見する場面になっていたように思います。ぬかるみに座り込んでいるルマータを子供が発見し、そのぬかるみの周りに、僕、日本の鎧兜のようなものを身につけた者(ルマータ曰く実務者)、預言者たちが集います。そこでルマータは心底疲れ果てた様子で、預言者に向かって、
「今回のこと(大虐殺)をお前は本に書くだろうが、俺が疲れていることは必ず書けよ。」と訴えます。
神は疲れているのです。

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人々に信仰心が芽生えていない状況で、影響力のない神が人々を救うためには、愚か者の群れの中から愚かでない者を探し出して生き延びさせるぐらいのことしか出来ないのかもしれません。そしてそれも徒労に終わり、神は疲れ果てます。
でもこの大虐殺によって、この後ルマータの影響力は高まるでしょう。寄りの映像からは、混沌や、その中における神の力のままならなさ以上に、虐殺の容易さを感じさせられます。あの画面の中から賢者(に見えない)を探し出して助けて匿うのは大変ですが、次々と現れる隙だらけの愚か者たちを手当たり次第殺していくのは難しくないことのように思えます。
ルマータは、人々を救うことに失敗し、感情のままに容易い大虐殺を行ったにも関わらず、この大虐殺を預言者は本にして広め、やがてルマータの力は知れ渡り、奇蹟として次々と二次創作がなされ、ルマータは後の世で超越的な存在として認識されてしまうのです。多分。

神様、異星人説。異星人、未来人説。などのオカルト系SF設定であるにも関わらず、地道に死体や裸体や泥や血や排泄物や唾や痰や奇声や吹出物や創傷や食べ物や飲み物や断片的な台詞を積み重ねて、結果疲れ果てる神の姿を見せています。クライマックスの大虐殺にカタルシスを感じるようにも描かれておらず、人が殺される瞬間は周到に避けられています。人の言動が帰結するのを見せず、目を引くものを大量に出して平板化させ、ルマータと共に観客が疲労するよう仕向けていると感じました。途中、扉を開けて出て行くルマータの肩にフクロウが飛び乗り、ルマータが手で払うと再び飛び乗るという奇蹟がありましたが、引きの美しい場面もそうですが、そういうのは本当に少しだけの体感型映画です。
これは皮肉ではなく、興味深い試みの数々によって、スクリーンの境界面を超え、みんなを疲れさせることに成功しています。