映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『叫』(2006年)感想・ネタバレ

監督:黒沢清


黒沢清監督作品については色々とこのブログで書いていますが、『叫』は観ていませんでした。いいタイトルです。まるで名作古典映画のようです。
コンクリの壁から葉月里緒菜さんがコンニチハしている写真をどこかで見て、コメディなのかなと思っていたのですが違いました。

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あらすじを書いておきます。

まず、殺人が起こります。被害者の死因は、海の水を大量に飲んだことによる溺死。その後に地震が起こったことで、湾岸沿いの殺人現場は液状化し、過去と現在が同じぬかるみに浮かび上がります。
事件を担当する刑事の吉岡登は、ぬかるみを探索し、過去とも現在ともつかない遺留品を次々と見つけ、それらが自分に関連するものばかりだったため大いに混乱します。
もしかしたら自分に関係があるのかもしれない女の遺留品の吊るされた赤いワンピースを見て怯える吉岡。彼はその後、赤いワンピースを着た見知らぬ女の幽霊に付きまとわれ始めます。
幽霊は、「どうしてあたしと一緒にいてくれなかったんですか」と、訴えてくるのですが、吉岡には身に覚えがありません。
幽霊は俺と何か関係があるのか、俺は何かやったのか、と吉岡は悩みます。精神科医の高木は、「幽霊の声は、真実の声です」と言い、恋人の春江は「そんなことどうだっていいじゃない。今の私たちに関係ない」と言います。
被害者の赤いワンピースの女の身元は分からないまま、海の水を大量に飲ませる、という同様の手口により、男子高校生が殺害されます。行方不明になっていた男子高校生の父親、佐久間昇一を吉岡が偶然見つけ取調べると、「全てを無しの状態にする」ために息子を殺害をしたと供述します。最初に殺害された赤いワンピースの女とは無関係で、犯行手口はたまたま重なっただけであったことがわかります。
再び同様の手口による犯行が起こり、容疑者の女、矢部美由紀が指名手配される中、最初に殺された女の身元が判明します。それは吉岡の知らない女で、犯人は女の元婚約者でした。
これで赤いワンピースの女のことは片付いたかに思われましたが、再び赤いワンピースの女の幽霊が吉岡の前に姿を現します。
幽霊は、「ずうっと前あなたは私を見つけて私もあなたを見つけた」「ずうっと待ち続けて誰からも忘れられて死んだ」と、吉岡に訴えます。
お前は最初に殺された女じゃないのか。お前はいったい誰なんだ。
吉岡はどうしても真実をやり過ごすことが出来ず、何とか過去の記憶からその女の人影らしきものを思い出します。
その後、吉岡はまたしても偶然、恋人を殺害した容疑で指名手配中の矢部美由紀を見つけます。
矢部美由紀も佐久間昇一と同様に「急にみんな無しにしたくなって」恋人を殺害したと言います。そして吉岡の、赤いワンピースの女の幽霊を知っているか、との問い掛けに頷き、「誰も私に気づいていない私は世界から忘れられる目の前にいる人が全然私をみていない」という彼女の気持ちがこっちに流れ込んできたみたいだった、と言うのでした。
吉岡は古い記憶を頼りに、湾岸沿いの黒いアパートに辿り着きます。そこには誰かが存在した様々な痕跡と共に、窓の外を見つめる赤いワンピースの女の幽霊の後姿がありました。
「やっと来てくれたのね」
「あなただけ、許します」
彼女は振り向くことなく、その言葉を残して吉岡の前から消えてしまいます。
幽霊の存在に悩まされることのなくなった吉岡は、ある時ふと家の棚の上にポリタンクが置いてあることに気づき、そのポリタンクで海水を運んだことに思い当たり、その海水を器に張り、春江を溺死させたことを思い出します。
家の隅の部屋には、いつからそうだったのか、器に顔を埋めたまま白骨化した春江の死体が横たわっていました。
その真実に愕然とする吉岡。
その場に姿を現した春江は、「恨んだってしょうがない。登には登の未来があるんだし、だからもう忘れて、私のこと」と言い、衝動的に自殺を図ろうとした吉岡を思い留まらせるのでした。
「君も、俺を許すというのか」
吉岡はまたしても許され、春江は消えてしまいます。
吉岡は、ボストンバッグに春江の骨を詰め、湾岸沿いに佇む黒いアパートへ赴き、そこにあった骨もバックに詰めていきます。ふと気配を感じて振り向くと、そこには風にそよぐ赤いワンピースがあるのでした。
吉岡はボストンバッグを携え、車道を歩いて行きます。走る車も人もなく、街は荒廃しています。
その景色に幽霊の声が重なります。
「私は死にました。だからみんなも死んでください」
そして映画は、音も無く叫ぶ春江の姿を捉えて終わります。


この映画に出てくる光と風の演出は、水の中を表しています。
最初の殺人場面の光の反射、佐久間昇一の取調室や、警察署内の光の散乱、吉岡と春江が過ごす室内の様子を窓ごしに捉えたショットには、水面の光が窓ガラスに映っています。
漂うようにゆれるシート、警察署内の電灯。赤いワンピースの女の幽霊の髪は、まるで水の中にいるかのようにスローモーションでなびいています。
「この間みたいな地震があと何回か続いたらこの辺みんな元の海に戻るんじゃないの」と、吉岡は言います。
吉岡の言うように、この映画に出てくる犯人たちは、地震により、元の海の中に戻ってしまっているようです。その一人である矢部美由紀は、地震に遭った直後に恋人の小野田を殺害するため、海の水を採取しようと湾岸沿いまで車を走らせますが、水の中にいるために車の後方に渦が生じています。これは、水の中をモーターで推進する時に生じる現象です。
犯人たちはこれらのことに皆無自覚のようですが、全てを無かった状態にするために、海水を用いて溺死させる、という殺害方法を用います。
海底都市があるのなら、きっとそこには溺死という、殺害方法も死因も存在しないでしょう。
海の中では存在しない殺害方法で、赤い服の女と同じ様に、「誰も私に気づいていない。私は世界から忘れられる。目の前にいる人が全然私を見ていない」状態にする、つまり海の中にいる状態にすることが、全てを無しの状態にするということなのでしょうか。
海の中では存在しない殺害方法で死んだ春江は、殺された・死んだ、という真実が消え、海の中の状態となり、同じ状態の吉岡と春江の周りには、湾岸沿いだろうが、駅の改札口だろうが、二人の他に誰もいません。
そして、彼らと状態を同じくする犯人は、吉岡だけに見つけられます。この時もまた、犯人と吉岡の他に誰もいません。吉岡がいなければ、彼らは誰にも気づかれず世界から忘れられ、全てを無しの状態にしたのかもしれません。


この映画は劇中で年代を指定していません。その場合、劇中の年代は大体公開年ぐらいだと推定していいと思うのですが、赤い服の女が湾岸フェリーから目撃された15年前あたりに、東京湾地震がなかったか調べたらありました。1992年の2月2日に東京湾の南部で震度5の地震が発生しています。東京では1987年以来の大きな地震だったようです。黒沢清監督が年をはっきりさせる場合、他の作品を見る限り実際の事象や出来事に呼応させているので、赤い服の女が水の中の状態になったのは、この地震が原因のようです。公開の約半年前にも1992年以来の大きな地震が発生しており、春江が半年前に死亡していることと重なるのですが、流石に撮影、編集などの作業工程を考えると無いと思うのですが、重なってしまっていることに黒沢監督の運命というか宿命というか、そういうものがあるのかもしれない、と作品を超えたところにまで思いが及んでしまいます。

観てからあまり間を置いていないので、色々考えている途中なのですが、話の元ネタになっているのは、ゲームの「ドラゴンクエストエデンの戦士たち」(2000年)とアンデルセン童話の「人魚姫」(1836年)なんじゃないのかな、と今のところ思っています。
ドラクエ7はやっていないのですが、Wikiによると、黄・赤・緑・青色の「不思議な石板」とよばれるアイテムを台座に揃えて過去の時代の1地方に赴き、過去の時代でのイベントをクリアして封印を解けば、現在においてその地方の陸地が出現するらしく、遺留品もそうですが、それ以外でもこの黄・赤・緑・青色の物がよく出てくる映画です。過去の場所(黒いアパート)に行って主人公が許されて、その後家に帰ると今まで気づかなかったものが出現しているところも似ています。海底都市も出てくるようです。
「人魚姫」は、春江が自分の飲み物に何か入れていた場面があったのと、水と空気の界面に阻まれて声が聞こえない、王子や他の人々に消えたことが気づかれないなど、理解の助けになりそうな要素があるような気がしています。

水の中ゆえに、赤いワンピースの女の幽霊が瞬きをしないことや、車の後方の渦もそうですが、春江の赤い柄模様のワンピースに、初めは黒いカーディガンを羽織らせ、次に白いカーディガン、最後はカーディガンを脱ぐ、などの水の中を意識した(水深が下がるほど赤い色は見えにくくなる)細かい演出。そして、『絞殺魔』を意識した犯人逮捕場面の長回し。魅力的なロケーション。格好良い冒頭の殺害場面!相変わらず見所だらけの映画でした。何よりハラハラさせられたのが、様子がおかしく、怒り出す吉岡に熱いコーヒーポッドを持たせたまま同僚の宮地とやりとりさせる場面です。刺激をしないように吉岡をなだめながら、そっとコーヒーポッドを奪う宮地。怒っている吉岡よりなにより、熱いコーヒーポッドをいつかぶちまけるんじゃないかとハラハラさせられます。こういう演出はもっと色んなところで仕掛けられるべきです。