映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『岸辺の旅』(2015年)感想・ネタバレ

監督:黒沢清


私の中で黒沢監督は純然たるジャンル映画監督なんですが、いつか撮ってくれると思っていた出来事を、ジャンル映画で培った術を用いて真っ直ぐなドラマにしていて、やっぱり凄い監督です。


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所々に出てくるカレンダーから、この旅が2014年の4月から始まっていることが分かります。瑞希と優介はその前に再会していて、その再会の3年前に優介は水により死んでいます。

欠ける月と満ちる月の短いショットから、2人の岸辺(水ぎわ)の旅が潮の満ち引きに影響されていることが分かります。死者と生者が共存する2人の旅路は、常世と現世の波打ち際の旅です。
2人は刻々と姿を変える波打ち際の変化に沿って縫うように旅を続けます。瑞希がどれだけ止まりたくても、優介がそれを許さないのは、2人が変化する境界線上にしかいられないからです。

内容についても色々触れたいことはあるのですが、とにかく、只々この映画の波の表現に今は驚いています。
死者を画面から消失させる時、毎回カットが割られるのですが、何が介在しているんだろうと思ったら、それが波でした。
波なんだ、と気づいた時の衝撃が今の所ずっと続いています。
瑞希がバイクで遠ざかる島影の消失を見て優介を探し回るのは、島影をさらった波に優介もさらわれたのではないかと不安に襲われたからです。
死者は、まるで浜辺で波に洗われる小さなかけらのように、波の訪れによって、消えたり、位置を変えて現れるのです。

取り敢えず一番書いておきたいことは書きました。

黒沢監督の今までの映画に比べて役者の存在が大きな位置を占めている映画です。深津絵里さんと浅野忠信さんが全くタイプの違う演技をされるのですが、そのバランスがとても良かったです。
少し前のニュースの阿蘇山噴火映像の中で、観光バスの運転手の声が流れていました。噴火を見て「はじめてだよ。死ぬぞ」と言うのですが、そのトーンが虚構の中の人物ではあり得ない感じで、実際はこんな風なんだな、と虚構の言動は虚構の世界の言動なんだと会得したのですが、浅野さんの演技はその実際の説得力を持っていて、何であんな演技が出来るんでしょうか。今回の優介役が出来るのは浅野さん以外考えにくいです。
反対に深津さんの演技は虚構を精鋭化していて、島影の鍋を使うのを止めておくか優介にたずねる何気ない場面の複雑な表現に驚きます。
この映画では、この虚構を精鋭化した深津さんの演技とテーマ音楽が虚構の世界に引き戻してくれる役割を担っていて、観ているのが辛くならなくて良かったです。
明らかに虚構に見える舞台演出みたいな変化するワンショットも、カットが割れても変わる、止まっても変わっていくという、止められない様を表しているようで、ずっと前向きに喪失に向かって進んでいく映画なので、それなりに辛かったのですが、深津さんの演技とテーマ音楽が拠り所になりました。