映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『アメリカン・スナイパー』(2014年)感想・ネタバレ

アメリカ
監督:クリント・イーストウッド
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休みなのに仕事の日の起床時間に目が覚めたため、その勢いでもって観賞。
予告がシリアスだったので、朝から観るのに躊躇いつつ、そこはイーストウッドだし、凄惨な状況でも淡々と見せてくれるだろう、ということで行ってきました。

冒頭は、予告で流れていた子供を撃つか撃たないかの決断を主人公(クリス・カイル)が迫られる場面から始まります。どうするのかは見せないまま、クリスの幼少期に物語は遡ります。

故郷のテキサス。
家族で教会へ礼拝に行く様子。父親と猟銃を持ってハントをする様子。そして、父、母、クリス、顔を腫らした弟の一家4人が食事のテーブルについています。
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父親はクリスと弟に向かって言います。「人間は3つに分けることができる。羊と狼と番犬だ」
羊は弱く守るべき人間で、狼は羊を襲う悪い人間。そして番犬は、狼から羊を守ることの出来る選ばれた人間であると子供たちに説きます。
顔を腫らした弟は誰かに襲われた(苛められた)のです。父親はクリスに弟を苛めた相手を叩きのめしたか、と問います。黙って頷くクリス。それに対し父親は「なら、お前は番犬だ」とクリスに告げます。

訓練を経て初めて派遣された戦場で、子供を敵であると判断し、殺すかどうか。
その決断は、クリス個人に委ねられます。その間に、クリスの過去が示されたのは、彼がこの状況で下す決断が、何にもとづくかを予め示すためです。
この場面における彼の決断の背景には、その場で彼が行った状況判断以外に、番犬としての自覚。それを促した家族の教え。また、そのような教えを先祖代々育んできたテキサスの風土が影響しています。
それはアメリカの開拓時代から連綿と続く教え、アメリカの歴史を作った教えでもあるのです。

クリスは朴訥な話し方(テキサス訛りらしい)で、控えめで落ち着いています。そしてシンプルな信条のもとに生きているように見えます。多くの戦友が正義や大義に迷う中、彼は黙々と任務を果たし、とてもタフな人物に見えます。
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1度目の派遣を終えて、戦場から戻った夫の雰囲気が変わってしまっていることに不安を覚えたクリスの妻タヤは、妊婦検診にクリスを連れ出し、そこでついでだからと血圧を測ってもらうよう促します。落ち着いているように見えていたクリスの血圧は興奮状態時の数値を示し、タヤと医者はPTSDの症状だから治療を受けるべきだとクリスに言います。
それに対しクリスは「大丈夫です。自分で何とかします」と答え、2人は絶句してしまいます。
これはPTSDの自覚の無い者の、根拠の無い自信から出た発言のように聞こえてしまいますが(タヤもそのように受け取っている描写が後に出てくる)そうではなく、スナイパーとして、戦場には彼にしか出来ないことがあるのです。実際1920mもの遠射を成功させるスナイパーがいたら、どれほど味方の命を救えるか計り知れません。彼はそれを自覚していて、番犬としての責務を果たそうとしているのです。彼にとって自分のPTSDの症状と、戦場の多くの仲間、ひいては祖国の国民の命は比ぶべくもありません。彼は誰にも代わることの出来ない存在であり、それ故自分で何とかするしかないのです。
何気ない場面ですが、クリスの孤独を感じる場面です。

クリスは要所要所でTVに映る映像に導かれ、啓示を与えられます。アメリカ大使館爆破事件の映像を見て軍へ志願し、アメリカ同時多発テロ事件を契機にイラクへ派遣されます。
物語の後半部に、クリスが3度目(だったと思う)の派遣を終えて帰国し、リビングでソファーに腰掛け、消えたTV画面を見つめる場面があります。かつて彼に導きや契機をもたらしたTV画面には、もう何も映ってはいません。その時クリスは一人、聞こえるはずもない戦闘音に取り囲まれ、身動きが取れないでいます。
この場面はクリスのPTSDの症状を表すとともに、自身が下す決断(番犬としての決断)に彼が不安を覚え、TVを前に導きを求めているように見えます。
この後の場面でクリスは決断を誤り、飼い犬に殴りかかろうとしてタヤに制止されます。
何が羊で、何が狼なのか。クリスは分からなくなっていきます。
この場面と前後して(記憶が曖昧です)、クリスは冒頭の場面と同じ状況に陥ります。射殺した男が持っていた武器を少年が拾い上げるのです。クリスは明らかに動揺し、捨てろ、捨てるんだ、と呟きます。

戦場を恐れず、戦う目的もあり、なすべきことが分かっていたクリスを迷わせ、追い込んだものは何なのか。彼に蓄積して、彼を蝕んだもの。
それは、多くの人の死です。彼が行った殺人。仲間の死。クリスの決断により、またそうでないものによりもたらされた死。多くの人間が、誰にも分からない死というものを境にして、仲間も蛮人(クリスは敵を蛮人と呼んだ)も等しく死者になっていく。派遣を繰り返し、クリスの世界が死者で溢れたことにより、彼は等しく死者となっていく者たちの境目を見失っていくのです。

そしてクリスは4度目の派遣に赴き、ムスタファを射殺しました。
ムスタファはシリア人の狙撃手で、オリンピックに出場する程の腕前を持っています。終始無言の役ですが、彼が銃を持って家を出て行く場面で、乳飲み子を抱える彼の妻だと思われる人物が出てきます。ムスタファは、孤独な番犬であるクリスと同じ役目を戦場で担う唯一の存在であり、またクリスと同じく夫であり、父親なのです。しかしクリスにとって、ムスタファは仲間を殺した敵です。クリスはムスタファに執着していきます。
クリスは妻に泣いて止められても、戦場へ行かなければなりませんでした。それは仲間の仇を討つためだけではなく、自分が戦場から逃れるためでした。彼の中の番犬としての尊厳を葬らなければ、彼の戦いは終われないのです。番犬は正義です。ムスタファを番犬だと認識しているクリスは、ムスタファを射殺することで、自分の正義を葬りたかったのです。狙撃は戦場において、音により敵に居場所が知られてしまう危険な行為です。明らかに不利な状況で、自殺行為ともいえる狙撃にクリスは挑み、ムスタファを射殺します。どんなに不利な状況でも、やらなければならないほどクリスは追い詰められていたのです。
ムスタファを射殺したクリスはタヤに電話をし、家に帰りたいと泣きます。番犬でなくなったクリスに、戦場でなすべきことはもう何もありません。
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クリスが放った銃弾により、音を聞きつけた敵が次々とクリスたちのもとにやって来ます。
時を同じくして、戦場に凄まじい砂嵐が訪れ、スクリーンは砂で覆われてしまいます。何も見えない画面と、響き渡る戦闘音。
クリスがリビングのソファーで感じた不安を、追体験させるかのように、大きな画面一杯の砂嵐(消えたTVと同義の意味で用いられる表現としての砂嵐を想起させる)を前に、観客は見るべきものを喪失させられてしまいます。
吹き荒れる砂嵐の向こうで薄っすらと物語は進行し、辛うじて味方の車にクリスが乗り込んだところで、戦場の場面は終了します。

アメリカに戻ったクリスは、家族の元へ戻らず、一人酒場にいます。タヤからの電話にも直ぐに出ることが出来ません。この時、彼を支配していた思いは想像するしかありませんが、彼の根幹を成していた番犬としての正義を無くし、あらゆる判断の根拠を失い、何の役割も存在しない場所に、彼はただ身を置くことしか出来なくなっていたのかもしれません。

戦場から退いたクリスは家族を連れ、テキサスへと帰ります。そして自分がそうされたように、息子をハントに連れ出し、銃の使い方を教えるのです。また、傷痍軍人らと射撃などをして交流を図り、穏やかに退役後の生活を送り始めます。
最後の場面、クリスは銃を持って静かに階段を降りています。子供たちに目配せをしてリビングを通り抜け、台所にいる妻に突然銃を突きつけて驚かせ、家族は笑い合います。
そして息子に「家のことはお前に任せたぞ」と告げ、彼はPTSDの元海兵隊員のリハビリに付き合うために射撃場へと出掛けて行きます。クリスを迎えに来た元海兵隊員を見て、玄関先で彼を見送る妻の顔に僅かな不安の表情が浮かんだところで、映画は終わります。

クリスが戦場へ派遣されていた時期の家庭の描写に銃は一度も登場しませんでした。しかし、彼の退役後の描写には、多くの場面で銃が登場します。
最後の場面では、クリスが妻に突きつけた銃を高い所へ置いた動作により、それが本物の銃だったことが分かります。玄関先で妻が感じた不安は、銃という目に見える形で、彼の退役後の穏やかな生活のいたるところに既にあったのです。
番犬でなくなったクリスの退役後の生活は、普遍的な、もしくは理想の家族の姿のように見えます。そんなアメリカ人家族の、あらゆる場面に銃がある。そのことに違和感や不安を覚えない鈍感さが最後の場面には、映し出されています。

映画の終了とともに、クリスがPTSDの元海兵隊員のリハビリに付き合った射撃場で、その元海兵隊員に射殺され、亡くなったことがテロップで知らされます。実際の葬儀の様子が流れ、エンドロールが音も無く流れ幕が下ります。
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ですます調の文章に限界を覚えつつ、何とか書き終わりました。
カウボーイからネイビー・シールズというだけでも物語になりそうですが、スナイパーで実際に1920mの遠射を成功させている記録があるそうで、凄い人がいるもんですね。
戦場と家庭のパートを交互に見せるのですが、努めて家庭のパートを素朴に描いている印象です。コントラストというより、歴史とは戦いなんだ、ということを強調しているように感じられました。戦場でクリスが放つ最初の一発が、アメリカの歴史の切っ先に見えます。
クリスが追い込まれていって、何でこんなことになったかを遡っていくと、アメリカの歴史に行き着いてしまいますね。

無音のエンドロールには驚きました。観客に判断を投げるというより、イーストウッドと実在の人物である主人公との距離感みたいなものを今は感じているんですが、どうなんでしょうか。最後までエンドロール聴く派なわけでもなく、サッと帰ったりする時もあるので、これからはエンドロールにも気を配ろう、と思いました。