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映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

『エリジウム』(2013年)について、感想・ネタバレ

監督:ニール・ブロムカンプ



あらすじ

西暦2154年
大気汚染や人口増加が進行し、劣悪な環境となった地球。富める者は「エリジウム」と呼ばれる、アーマダイン社が設計・施工したスペースコロニーに居住し、ドロイドの奉仕を受け何不自由のない生活を送っていた。その一方で、地球に暮らす貧しい者は、ドロイドの監視のもとで厳しい生活を余儀なくされていた。
主人公マックス(マット・デイモン)は孤児として育ち、地球の治安の悪さに順応して過去には刑務所にも入ったが、出所後は何とかまともな職で食いつなごうと、今はアーマダイン社のドロイド工場に勤めている。
そんなある日、マックスは出勤途中にドロイドの検査に遭遇する。ドロイドに荷物を開示するよう命令されるが、それを適当に受け流そうとしたところ、その態度が反抗的であると認識され、取り押えられて片腕を折られてしまう。だが偶然にも、その後訪れた病院で、一時を同じ孤児院で過ごし、空に浮かぶ「エリジウム」に共に憧れた幼馴染フレイ(アリシー・ブラガ)に再会。犯罪者まがいの生活をしているのではないかと訝しがる彼女に、まともに工場勤めをしている事を告げ、何とか彼女とコミュニケーションをとろうとする。しかし彼女はよそよそしく、デートの誘いになかなか応じてくれない。マックスは何とか食い下がり、お茶の約束をとりつける事に成功。しかし喜びも束の間、今朝のドロイドとのやりとりについて、役所にいるロボット監察官が下した判断は保護観察処分の延長だった。
怪我をおして職場に復帰するも、片腕が使えなくて満足に働けるのか、と解雇をチラつかせ、給料の減額を告げる工場長。その上運の悪い事に、持ち場の照射室が故障してしまい、扉が閉まらなくなったことを報告すると、再び工場長は解雇をチラつかせ、照射室内部へと入る危険な作業を強要してきた。まともな仕事を辞めさせられるわけにはいかないマックスは、嫌々照射室へと入るが、そこでアクシデントは起こってしまう。
工場の簡易ベッドの上に横たわるマックス。
そこで彼に告げられたのは、致死量の照射線を浴び、あと余命が5日、という残酷な診断結果だった。
鎮痛剤を渡され、工場は解雇。

このまま死にたくはない。
マックスは、何とか生き延びるために「エリジウム」の各家庭に配備されている(何でも治せる)最先端医療ポッドによる治癒に望みをかけ、スペースコロニーエリジウム」を目指し、宇宙へ飛び立つのだった。



コメント

観た人は分かると思うのですが、この映画のストーリーは「全体的ににこんな感じで、」感が漂っています。脚本もニール・ブロムカンプなのですが、大枠を伝えて外部委託して、その中の2・3本を1本にまとめたのがニール・ブロムカンプなんじゃないの?と思うのは気のせいでしょうか。むしろ、ハリウッドの脚本とはそういうものだったりするのでしょうか。
マックスは、致死量の照射線を浴びて余命5日なのに、その上脳内にダウンロードしたデータを取り出したら死ぬ、という設定が後々加わります。主人公が2つも条件つきの死を抱えるわけです。致死量の照射線だけではダメだった理由は、エリジウムに行って医療ポッドに入って助かってしまうのがマズいからです。何かこだわりがあるのでしょうが、データ取り出したら死ぬ、なんて匙加減ものの理由をでっち上げてまで、どうしてもマックスを死なせたかったようです。
余命5日の設定や、残りの日数分の鎮痛剤とは、なんだったのでしょうか。あと2日!とか、薬がこんだけしかない!みたいなのがやりたかったんじゃないの。違うの。

あと、子供の頃の記憶でフレイと過ごした場面と、孤児院のシスターにエリジウムも綺麗だけど地球も美しいのよ、と地球の写真入りのロケットペンダントを貰う場面が、映画冒頭と、その後のマックスのフラッシュバックで度々出てきます。そして、現在のマックスは、子供の頃にフレイと一緒に考えた2人のオリジナルマークを刺青にしていて、シスターに貰ったロケットペンダントを持っているのです。
死ぬ理由が2つあれば、思い出の象徴が2つあってもおかしくないのかもしれない。
おかしくはないのかもしれませんが、この2つの思い出も、その象徴のものも物語の中で中途半端に扱われ、わざわざ何で2つもあるんだ、と思わずにはいられない。
やたら2つの思い出がフラッシュバックするのですが、空気を読めと強調せんばかりです。あの頃、そして今、でラスト。ね?みたいな。雰囲気で持っていこうとしてきます。

なので観ていると、
フレイとの再会後にフレイの娘の存在を知り、ショックを受けるマックスだが、その娘の病気を知り、交流が深まるにつれ何とかしてやりたい、と思うようになり、危ない世界からは足を洗っていたが、再び危ない橋を渡ってエリジウムへGO。データを取り出して死ぬことが分かっても、これで良かったんだと思うパターンと、工場で事故に遭い瀕死のマックス。クソみたいな人生で死ぬとかやりきれねぇ、エリジウム行ったら何とかなるんだ、地球はクソみたいだがエリジウムは凄いんだ、と周りを巻き込んで危険なエリジウム行きを決行。利己的な人間だったが、死を見つめる事で心境に変化が。そして死ぬ間際に空に浮かぶ地球目撃。シスターの言っていたことは本当だった。孤児の俺のホームは地球だったんだ!パターンの2つがあって、それを中途半端に混ぜたのではないか、と思わずにはいられない。

時間を短くしたい、ヒーロー然とした主人公は嫌だ、主人公が最後死ぬのは決定。などなど全部要求を通したために、どうしたいかは分かるけど、どうにもなっていない映画が出来上がってしまったのだと思う。『第9地区』(2010年)も『エリジウム』も主人公がやたら子供っぽいのも監督が子供っぽい人なのではないか、と思えてきます。

アクションシーンの特殊効果や、凝ったガジェット。顔面破壊からの顔面再生など見所もあるんだけど、いかんせん全体の中の部分でしかなく、アクションシーンも特殊効果は凄いけどカット割りは酷かったり、アクションそのものは凡庸だったり、とアクションシーンという括りの中でも部分に過ぎないぐらい部分すぎる見所です。
顔面再生は見て良かったな、とは思うのですが、これも監督がやりたかっただけで物語上の必然性は無し。何とか顔面再生が撮れる設定を揃えた、って感じです。とは言ってもエリジウムに出てくる医療ポッドなんて原理は魔法と同じですけどね。

散々な言いようですが、商業映画として最初段階の妥協もせず、この先どうするの、やっていけるの、といらん心配をしてしまいました。
ドロイドを持ち出し、案の定喜んでいる人もいるようですが、そんな小賢しい事をしていても仕様がない、ネタ映画が作りたければもっと上手くやれ、と却って言ってやりたい気分です。