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映画を書くと頭が疲れる

観るものです。

映画『エンダーのゲーム』ネタバレ感想

以下ネタバレ。




















『エンダーのゲーム』(字幕)鑑賞。
原作読んでます。

ネタバレって最後のアレに触れなかったらいいのだろうか。映画のネタバレの定義がよく分からない。

映画は映画だと切り離して見ても、原作を読んでいると見ている端から情報が補足されていくので、ただ映画だけの感想は難しい。
けど、エンダーの非凡さを台詞で後追いで説明するところ多くないですか?
映画の冒頭で「あいつは殺し屋だ」と言われた人が、1時間経っても人を手馴れた様子で殺したりしないのを見ると、この人本当に殺し屋なの?という疑問が湧いてくるものだけれど、エンダー以外の人間が非凡だ極めて有能だと言うばかりで、劇中の描写では結構いそうなぐらいの優秀さにエンダーは留まり続けていた。
最高司令官としての非凡さを持っていること、またそれを求められるが故に生じる孤独や、兄弟との結びつきやしがらみに関しては、描写はもとより説明すら不足しているように感じた。いや、本当は説明なんていらないのですが。
孤独な少年を画面中央において、寄りで撮りすぎてる。画面が引くと、そこには常にエンダー以外の人がいて、そんな孤独に見えない。『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』冒頭の公園のブランコに一人腰掛けるハリーのような風景はどこにもない。
湖のシーンに希望を託していたんだけど、説明的に挿入されてアッサリ終わってしまった。あんまり好きな映画ではないのだけど、『アメイジングスパイダーマン』のようにバトルスクールと家族と過ごす描写のとこ、思い切って演出切り替えたらどうだったかなぁ、と。
兄弟との関係の描き方も、姉のヴァレンタインはメールや手紙のやりとりをお互い読み上げるだけにして直接会話をさせない。兄のピーターは、顔を映さない。とかなんとかして抽象的に描いたりしたら、エンダーの精神世界の住人足り得たのではないか。
などと色々妄想するのも、楽しみにしていたからです。
天才を描くのって難しいな、とは思います。
殺し屋は分かるけど、天才はどのように描くのか、そこが見れるのではないかという期待があったから。『クロニクル』のアンドリューみたいに、カメラ目線で後ろにある廃車をグッシャーとやってくれたら、あ、何かこの人やばいな。となるんだけど。無駄に凄いことするって大切ですよね。


個人的に驚いたのが、原作を読んでいる時、エンダーが過去の戦争の映像を見る場面のところの、過去映像を白黒で想像してたことに気づいたこと。映画でカラーの鮮明な映像で映って、白黒は無いはなぁ、と思いました。宇宙戦争してるぐらいなのに。現実の戦争映像も既にカラーで見ているのに、過去の戦争映像と書かれてたら自動的に白黒になってたのが分かって驚きました。そのぐらいの想像力しか無いなんて自分が嫌になりますね。
でも、モニター?ウォッチ?なんか混じってますが、エンダーたち訓練兵は、ある時点まで監視装置を付けられていて、彼らの様子を監視映像で上官たちが見るのだけれど、カットが割れるのはダメです。監視映像って独特の機械的な質感があって、監視カメラの一定のポジションからただ撮ってます、という冷徹なあの感じの映像があれば、上官たちが教育者ではなく、観察者な感じが出せたはず。
もう、取り止めがないのでやめます。

バトルルームは満足です。あれを映像で実際見れただけでも良いと思ってます。何が凄いというのも無いのだけれど、残念CGの時期では無く、今の映像技術で見れたという思い入れの部分なので、原作を読んでいて思い入れが無ければ意味は無いんじゃないでしょうか。